考えたこと2

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勇気を…
最近、オリンピックや大きなスポーツの大会などの実況のあと、ファックスで視聴者からのメッセージを受け付け、その場でアナウンサーが読み上げることがある。

上手なイラストが描いてあったり、飾りの文字が書いてあったりする。

もちろん、メッセージが添えられているのだが、その中で「勇気をもらいました」「勇気をありがとう」というのをよく聞く。

たしか、北島選手が平泳ぎで金メダルを取ったときも、そういうメッセージがいくつか届いていた。

「おめでとう」とか、「スゴイ」とか、「感動しました」とかいうのはわかるのだが、「勇気を…」というのはどういうことなんだろうか…。

大辞泉という辞書によると、勇気とは「いさましい意気。困難や危険を恐れない心。」という意味。

選手が金メダルをとって、いさましい気持ちになる…という意味で書いているのだろうか。
そうなんだろうなあ。
困難や危険は、この際関係ないだろう。

選手が金メダルをとったから、自分もがんばれるぞ…といういさましさだろうか…。

そんなことができると思っているなら、選手に失礼ではないか。
何年もの間、好きなこともガマンし、ひたすらレースやゲームに勝つために苦しい練習を重ねてきたからこそ、スゴイ成績を残せたのだ。

その成績に対して、めでたいし、すごいし、感動する。

でも、勇気はもらえない。

勇気がもらえるほどの努力をしているなら、もらえばいいのだが、それほどの努力をしている人がどれだけいるのか…。

何を対象にがんばっているかは、人それぞれだろう。

仕事なのか、勉強なのか、スポーツなのか…、でも、どれにしたって彼らアスリートが、「その日」に勝つために積み上げてきた努力に比べたら、そう簡単に「だから自分もがんばれる…」などと思えるものであるハズがない。

それを言えるということは、彼らの努力を甘く見ているか、それとも単に気楽なだけではないかと思う。

そんなこと、別に目くじら立てることでもないのかもしれない。
テレビ中継を見て、興奮してつい筆がすべったのか。

でも、そう簡単に「勇気」はもらえないと思う。


| | 考えたこと | 23:06 | comments(0) | trackbacks(0) |
ワシントンと桜
「ワシントンと桜」というと、ピンとくる話がある。

ワシントンが斧で父親が大切にしている桜の枝を切ってしまい、枝がなくなった桜を見て驚いた父親に対して、正直に「自分がやりました」と言って、その正直さをほめられたという話。

英語の教科書に出ていたのか、国語の教科書に出ていたのか、どこかで読んだのか…忘れてしまったが、この話は有名な話だと思っていた。

しかし、今の若い人たちにとっては初耳ということらしい。

もう教科書などには載っていないのだろう。

ウソはいけない…というときに、「ワシントンの桜の話や」と言ったら、「それなんですか?」というリアクション。

え、ワシントンの桜の話、知らんか…??

うちの子どもに聞いても、長男は知っていたが、次男はワシントン市に植えてある桜のことか?との反応。

長男に何で知っているのか?と聞いたら、小学校の時に図書館でワシントンの伝記を借りて読んだからとのこと。
みんなで習ったわけではない。

おそらく昭和30年代生まれなら、一度は聞いたことがある話だと思うが、今では「それ何?」の話になってしまった。

べつに知らなくてもいいし、知っているからエライというわけでもないが、こういうのが積み重なって、ジェネレーション・ギャップというものができていくんだろうなあ…。





| | 考えたこと | 00:42 | comments(0) | trackbacks(0) |