考えたこと2

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音のつながり
音のつながりと人間の感覚はどうつながっているのだろう。

それは後天的なものなのか、それとも先天的なものなのか…。

ドミナントモーションという音のつながりがある。
ソシレファという和音から、ドミソの和音に変化するというつながり。

小学校の頃、「起立・礼」のとき、ピアノで弾かれる「チャーン・チャーン・チャーン」という音楽…、その和音三つがドミソからソシレファにいって、ドミソに戻るというつながり。

この、2つめの和音から、3つめの和音に変わるところが、ドミナント・モーションといわれるもの。

終始感という感覚がある。
これで、終わりですよという安定感。

これは、ずっと西洋音楽を聞いてきたから、ドミナント・モーションに安定した感覚を覚えるのか?

生まれてから、ずっと邦楽しか聞いていなかったら、どうなるんだろうか?

音のつながりに、生まれる前からの刷り込みがあるのだろうか…。

音楽は不思議だ。



| | 考えたこと | 22:44 | comments(2) | trackbacks(0) |

コメント
G7の中のシとファの音が「不安定感」を作っています。
シはドに行きたい・・・・
ファはミに行きたい・・・
で、ド・ミ・ソに解決するわけですね。

ちょうど磁石の極性で「反発」と「吸引」が作用するように、減4度の音程は反発します。

邦楽や古いアイルランド民謡では「和声」という概念が無かったそうですが、ある方が無作為に抽出した人間に、いろいろな音程の和音を聞かせて「好ましい」と感じるか?「不快」と感じるか?と実験したデータによると、幼年期の擦り込みと言うのではないようです。
| Northfield | 2008/03/14 12:15 AM |

中国の音楽にも、和声という概念はないようですね。

各々の楽器が違うメロディを弾くという感覚のようです。

でも、幼年期の刷り込みではないとしたら、もともと脳の中に音楽を感じる部位があって、それは先祖代々の刷り込みということになりますね。

ひょっとしたら、人間は言葉より前に音楽を生み出したのかもしれませんね。
だから、言葉は民族によって違いますが、音楽は人類共通の何かが残っているのかも…。

そんな気がします。


| suzy | 2008/03/15 12:55 AM |

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