考えたこと2

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グルメサイトのフェイクレビュー
アマゾンのレビューで明らかに日本語のおかしいものがある。
たいがいそういう製品は中国製だったりして、ネットの信頼性の仕組みを作っているのは、ウソのレビューなどを排除する「性善説」に基づいていることを実感した。
そこをいかに担保する仕組みを作るかが、ネットでの発展を考える上で重要だろう。

そんなことを考えていたら、グルメサイトでもフェイクレビューのニュースだ。
日経ビジネスに、飲食業界では来店してもらうために、「食べログ」などのやらせのレビューをやっている、という記事があった。
ネットの影響が大きくなった証拠だ。

「飲食業界では、料理の腕や接客術を磨くことに専念せず、不正を働いてまで客の評判を高めようとする店舗が存在する。客に金銭を支払ってグルメサイトに「料理はどれもおいしかった」「店内の雰囲気がよく、接客が行き届いていました」など、高評価の「レビュー(口コミ)」を書き込ませる、やらせの実態が取材から浮かび上がってきた。」

記事によると、食べ歩きが趣味のブロガーに頻繁に「お願い」のメールが来る、ということだ。
いい評点の記事を書くと、1回の投稿で1万円のお礼と飲食代2名まで無料、という特典があるとのこと。
こういうのを口コミ代行者という人たちがやっている。
実際に食べログのようなグルメサイトの点数が低くなって、予約がピタリと止まったという店もあるようだから驚く。
こうなると、ライバル店が悪意を持って悪いレビューを書く、ということも起こっているんだろうと思う。

こんなサイクルになると、レビューシステムは機能しないどころか、逆に信頼性を落とす。
本来は善意でよくしようと思っていても、ネットの匿名性を利用してそれを悪用する人が出てくるのだ。

最近宴会の予約をよくするが、ぼくはグルメサイトの評点など見ない。
料理ジャンルと場所、店内の写真、メニューあたりを参考にはするが…。
あとは電話をかけて、日と人数を伝えて、予約OKかどうか聞くだけ。

ミシュランの星がどうたらこうたら、というドラマもあったが、そんなの信用しない。
値段を上げるための手段みたいなものだろう。
料理なんて、主観だし、好き嫌いもある。
だれかが3つ星だと言っても、それが本当に美味しいかどうかなど全く保証の限りではない。
レビューの評点でずらっと3.5が並んでいても、自分がオイシイと思うかどうかなどわからない。
味覚など、いい加減なものだとぼくは思う。

とはいえ、グルメサイトのレビューで店を選ぶ人がたくさんいるから、こういうフェイクが流行るのだろう。
サイト運営者の方から言えば、たかが口コミをそんなに重要視するなというのが本音だろう。

ということで、ぼくにはあまり関係はないが、こういうことが世の中で起こっている。

インターネットが生んだ新たなビジネス。

こうなってしまったら、見る人のネットリテラシーが大切なのだろう。



| | 考えたこと | 21:41 | comments(0) | trackbacks(0) |
死の規制緩和
山折哲雄という宗教学者がいる。
現在88歳。
本を読んだことはない。
時々、この人のコラムを読む。

こないだ、日経ビジネスで「90歳以上の高齢者に死の規制緩和を」という山折哲雄のインタビュー記事があった。
30代後半に暴飲暴食がたたり、大量吐血、下血して入院したとのこと。
このときに、絶食療法をした。
点滴で栄養を取るだけで、最初の4日くらいは身体がどんどん枯れてきた。
しかし、5日目、6日目になると飢餓感が引いていって、身体が軽くなって、身体の奥底からエネルギーが湧いてくるという感覚になったという。

仏教の修行僧も、死に際には断食する。
断食往生死だ。
山折氏も絶食経験から、死ぬときは断食しようと思ったとのこと。
西行法師も断食往生だったらしい。

現在の高齢化社会を迎えて、こういうことを言っている。

「生命科学の進歩によって寿命は延びていますが、寝たきりになったり、認知症を患ったりする高齢者は増えています。緩和医療や延命医療などが広がったことで、どこまで生きているのかよく分からない半死半生の人間がどんどん生まれているのが現実でしょう。こういう現実を考えると、現在の高齢化時代にあった死の再定義が必要だと思います。
 加えて、90歳以上の高齢者には安楽死を認めるべきだと思います。安楽死については医学界、仏教界、法曹界が猛烈に反対していますが、年を取ってからの安楽死を支持する人は、意外に多いのではないでしょうか。死にも規制緩和が必要だと思います。」

まことにもっともな意見だと思う。

88歳を迎えて、宗教家の彼は師と仰いできた親鸞の全集を知人に譲ったという。
ずっと背中に重いものを背負ってきたという感じが、ちょっと軽くなって、開放感を感じたらしい。

彼に比べると、ぼくの背負っているものなど比べ物にならないほど軽いと思うが、まだまだ捨てられないものも多い。
持っては死ねないとわかっているのだが、まだ使うかもしれない、とか思う。
使わないだろうと思っていても、なかなか思いきれない。

ぼくの父も、いろんなものを残して死んだ。
まだ実家に残っている。
おそらく、実家を潰すときに業者が処分してくれるだろう。

そう思うと、自分が生きている間に処分するのが最善だ。

終活、大事になるぞ。




| | 考えたこと | 00:22 | comments(0) | trackbacks(0) |