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ハッカーと画家
ハッカーと画家 ポール・グラハム著 川合史朗監訳 オーム社

中高年の人にとっては、ハッカーというと人のコンピューターに進入する悪人というイメージ。
でも、この言葉の意味は最近変わってきた。

この作者によると、ハッカーとはクールな(かっこいい)プログラムを書く人というような意味だ。
どちらかというと、学生時代はギーク(オタク)で変わり者で、あまり女の子にもてない。
このへんのイメージは日本と同じだ。
見た目は野暮ったく、外観などかまわないのだが、内面は他の人より先を行っている。
ハッカーが単なるオタクと違うところは、そこだ。
くだらないゲームに「ハマって」いるようなオタクではなく、一歩先を考え、実社会で問題になるようなことを考えているオタク、これがハッカーと作者が呼んでいるものだろう。
ハッカーにとっては、プログラムをコーディング(書くこと)することは、一種の芸術であり、いかに美しく、クールなコーディングができるかということが大事だという。
それは単に書くことではなく、一種のデザインであり、創造である。
だから、それは芸術家が絵を描くのと似ている。
そんなプログラムをコーディング出来る人が、真のハッカーだ。

ポール・グラハムはオタクで、プログラマで、ベンチャー起業家で、フィレンツェで絵画を学んだハッカーである。
起業した会社は今はヤフーの一部になって、自分は独立している。
オンラインショップのソフトを作って、ユーザーに提供する仕組みを構築した。
今グーグルがやっているように、Web上でサービスを構築する。
コンピューターにはインターネットにつながって、Webサーバーと通信できればそれでいい、という先進的なアイデアを、LISPというプログラム言語を使って、世界で最初に作った。

この本はそのグラハムが書いたものをまとめたもの。
前半は社会のことについて書いてあり、後半はプログラミング言語にことについて書いてある。
一番エキサイティングなのは、第7章。「格差を考える」という章だった。
作者の考えは、今の日本に欠けているところだと思う。

そこから抜粋する。

「教授と政治家は直接富を作る現場から一歩離れており、どれだけ頑張って仕事をしても給料は変わらないという、経済に生じる社会主義の渦の中で生きている。」

「実社会では、親にずっと頼って生き続けることはできない。何かが欲しければ、それを自分で作るか、同等の価値あることを他の誰かにしてあげて、その対価を支払ってもらい、それでもって欲しいものを買うしかない。実社会では、富は(泥棒とか山師などの特殊な例を除けば)自分で創り出さねばならないものであって、お父さんに分配してもらうものじゃない。そして、富を創り出す能力と、創りたいと望む欲望は人によって異なるのだから、富は等しく創り出されない。」

「米国では大きな公開企業のCEOは、平均的な人の100倍くらいの給料を受け取る。バスケットボールの選手は128倍、野球選手は72倍くらいだ。」

「誰かの仕事がどれくらいの価値があるのかは、政府の方針の問題ではない。それは既に市場が決めていることだ。

もちろん、人々は間違ったものを望むものだ。そんなことに驚くほうがおかしい。ましてや、ある種の仕事の給料が少なすぎるのは不公正だなんていうのはもっとおかしい。人々が間違ったものを望むのは不公正だと言っているのと同じだからだ。そりゃあ、人々がシェークスピアよりバラエティ番組を、野菜サラダよりアメリカンドッグを好むことは、残念ではある。だが、不公正だって?それはまるで、青色は重いとか、上は丸いとか言うようなものだ。
ここで「不公正」という言葉が出てくるということは、父親モデルが心に刻まれている間違いない証拠だ。でなければ、どうしてこんなとんちんかんな考えが出てくるんだい?未だに父親モデルを信じていて、富は人が欲することをやることで生み出されるのものではなく、共有の源から流れてきて分配されるものだと思っているからこそ、誰かが他の人よりずっとたくさん儲けているのを見て不公正だと思ってしまうんだ。
「収入の不均一な分布」に関して話す時には、その収入がどこから来たのかについても考えなくちゃならない。その収入の多寡が人が創り出した富の多寡による限り、その分布は不均一にはなるだろうが、不公正とは言い難い。」

「父親モデルが現実と最も異なるのは、頑張りの評価だ。父親モデルでは、頑張りはそれ自体が報酬の対象となる。現実では、富は結果で測られ、どれだけ頑張ったかは関係ない。もし私が誰かの家にペンキを塗るとして、歯ブラシを使って頑張っても余分にお金は貰えないだろう。
父親モデルを無意識に信じてる人にとって、とても頑張った人があまり貰えないのは不公平に感じられるだろう。問題をより明確にするために、他の人間を全部取り除いて、この労働者が無人島にいて、狩りと果物の収集をやっているとしよう。彼がそういうことを苦手だとしたら、非常に頑張っても、大した食料は手に入らないだろう。これは不公平だろうか。誰かが彼に対して公平でない行いをしている?」

こういう刺激的な言葉で書かれている。
刺激的だが、正論だと思う。
2004年に発行された本だ。
今から十年前。
書かれていることは、すでにWeb上で発表されたものとのこと。
英語がわかれば、タダで読めるということだ。

ハッカーという生き方は、ある方面ではストイックに生きるということだと思う。
別の方面では、全く気にしないということだ。
インターネットとパーソナル・コンピューターという道具は、ハッカーに向いていると思う。
一人でプログラムをコーディングして、その結果を公開できるし、見る人がみればその優劣は明らかにわかる。

それが何かをデザインすることであり、絵画のようだとポール・グラハムは言うのだろう。

ハッカーはかっこいい。


| | | 23:42 | comments(0) | trackbacks(0) |
ドレスコード
ドレスコードという言葉、時々聞くようになってきた。
Wikipediaによると、ドレスコードとは服装規定のことであり、こう書いてある。

「服装規定(ふくそうきてい、英語:dress code)とは社会の中のさまざまな場所と機会、また行事や催し物、パーティなどの場面で当然、その場面でしかるべきとされる服装のことをいう。周囲への配慮から始まったエチケットである。行事によっては主催者側でフォーマル、インフォーマルなどと指定されることも少なくない。英語の表現をそのまま使ってドレスコードと表現されることもある。」

ドレスコードとは、海外の言葉であって、日本ではあまり使わなかった。
でも、最近は西洋化してきて、公的な催しなどの時に使われることがある。
いや、西洋化してきたというよりも、暗黙の了解事項がなかなか通じなくなったからかもしれない。
実際、社会的に公の場ではスーツ着用とか、ネクタイ着用とか、ややフォーマルな格好とか、だいたい想像がついて、それなりの服装でいけることが多かった。
わからなければ、スーツを着ていけばいいのだ。

それでも、最近はネクタイをしなくてもいいとか、クールビズだとか、そもそもカジュアルな姿で働くというような職場も増えているから、ややこしい。

グーグルのような会社は、どんな服装をしていってもOKというのが、売りになっているようだ。
パジャマもジャージもありらしい。
まあ、グーグルだから、どんな格好をしていても信用されるんだろう。

世の中、だんだん変わってきて、判断が難しくなってきた。
わからないから、スーツを着て行ったら、そんなやつは一人しかいなかったという事になっても困る。
一度はクールビズにてお越しくださいと書いてあったから、その通りにして行ったら、主催者はみんなスーツでタイ着用というような事もあった。
こういうのはホントに困る。

そういえば、最近街を歩いていて時々見るのは、スーツ姿でリュックを背負っている若い人。
あれは、ぼくらの世代は違和感を感じるのだが、20代の人たちはあまり違和感を感じないらしい。
ああいうのも、時代が進むとアリになるんだろうか。
スーツでスニーカーもいるなあ。

カルチャーが変わると、ドレスコードもどんどん変わっていかざるを得ない。

温暖化もあるし…。

あと20年経ったら、どうなっているだろうか。

想像がつかない。

| | 考えたこと | 00:39 | comments(0) | trackbacks(0) |