考えたこと2

2024.9.24から、今までhttp:で始まっていたリンクが、https:に変わります。申し訳ありませんが、リンクが見られないときは、httpsに変えてみてください。
CALENDAR
<< October 2014 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 >>
+SELECTED ENTRIES
+RECENT COMMENTS
+CATEGORIES
+ARCHIVES
+PROFILE
+OTHERS
村上朝日堂 村上春樹/安西水丸
村上朝日堂 村上春樹/安西水丸 新潮文庫

元の本は1984年に出版された。
今からちょうど30年前。日本が一番調子がいいころだ。
日刊アルバイトニュースに1年9ヶ月にわたって連載されたエッセイを本にしたもの。
文章が村上春樹で挿絵が安西水丸となっている。

おまけを除くと、文庫で2ページ、挿絵付きの87本のエッセイだから、週に1本書いていたのだろう。
書き手も、挿絵も、ある程度脱力した感じで、あの頃の時代の感じをよく表していると思う。

村上春樹の小説は読んだことがないが、エッセイは面白い。
この本にも出てくるが、村上春樹はほとんど海外の小説を読んできたらしい。
ノーベル文学賞の候補になっている今ほど大御所ではなくって、30代の作家として日常で思うことや、読んだ本のこと、ヤクルトスワローズのこと、引っ越しのこと、虫が嫌いなことなどを書いている。

「夏について」という項では、

「夏は大好きだ。太陽がガンガン照りつける夏の午後にショートパンツ一枚でロックン・ロール聴きながらビールでも飲んでいると、ほんとに幸せだなあと思う。
 三カ月そこそこで夏が終わるというのは実に惜しい。できることなら半年くらい続いてほしい。
 少し前にアーシュラ・K・ル=グィンの「辺境の惑星」というSF小説を読んだ。これはすごく遠くにある惑星の話で、ここでは一年が地球時間になおすと約六十年かかる。つまり春が十五年、夏が十五年、秋が十五年、冬が十五年かかるのである。これはすごい。
 だからこの星には「春を二度見ることができるものは幸せである」ということわざがある。要するに長生きしてよかったということだ。
(中略)
シナトラの古い唄に「セプテンバー・ソング」というのがある。
「五月から九月まではすごく長いけれど、九月を過ぎると日も短くなり、あたりも秋めいて、木々は紅葉する。もう時間は残り少ない」という意味の唄である。
 こういうのを聴いているとーすごく良い唄なんだけどー心が暗くなってる。やはり死ぬ時は夏、という感じで年を取りたい。」

と書いてある。

この人、SF小説が好きで、シナトラが好きなのか、と思って一気に親しみがわく。
ふーん、そんなSF小説があったのか、とも思う。

純文学の作家というと、何となく堅い感じで近寄りがたいという雰囲気だったが、夏の午後にショートパンツでロックン・ロールを聴きながらビールを飲むというところが、普通の人だと思わせる。

「あたり猫とスカ猫」という項もある。
この人はネコも好きだ。
あたりの猫にめぐりあう確率は、3.5〜4匹に一匹らしい。

ちょうど84年くらいに、フリオ・イグレシアスが流行った。
どういうわけか、村上春樹はフリオ・イグレシアスが嫌いらしい。

「しかし、僕の個人的な感想を言えば、あのフリオ・イグレシアスという人間は実に不快である。僕のこれまでの経験によると、あの手ののっぺりした顔立ちの男にロクなのはいない。財布を拾っても交番に届けないタイプである。ああいうのは五年くらい戸塚ヨット・スクールに放りこんでおけばいいと思うのだけど、きっと要領がいいから途中からコーチなんかになって他人をなぐる方にまわるに違いない。そういう男なのだ。
 僕はそんな風に言うとフリオ症候群の女性は「ま、村上さんはそう思うでしょうね」と悪意に満ちた言い方をする。そう言われると、なんだか僕がことさら二枚目を嫌っているみたいである。」

こういう書き方は好きだ。
面白い。

この人には共感できる。

| | | 00:32 | comments(0) | trackbacks(0) |