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2014.10.17 Friday
村上朝日堂 村上春樹/安西水丸
村上朝日堂 村上春樹/安西水丸 新潮文庫
元の本は1984年に出版された。 今からちょうど30年前。日本が一番調子がいいころだ。 日刊アルバイトニュースに1年9ヶ月にわたって連載されたエッセイを本にしたもの。 文章が村上春樹で挿絵が安西水丸となっている。 おまけを除くと、文庫で2ページ、挿絵付きの87本のエッセイだから、週に1本書いていたのだろう。 書き手も、挿絵も、ある程度脱力した感じで、あの頃の時代の感じをよく表していると思う。 村上春樹の小説は読んだことがないが、エッセイは面白い。 この本にも出てくるが、村上春樹はほとんど海外の小説を読んできたらしい。 ノーベル文学賞の候補になっている今ほど大御所ではなくって、30代の作家として日常で思うことや、読んだ本のこと、ヤクルトスワローズのこと、引っ越しのこと、虫が嫌いなことなどを書いている。 「夏について」という項では、 「夏は大好きだ。太陽がガンガン照りつける夏の午後にショートパンツ一枚でロックン・ロール聴きながらビールでも飲んでいると、ほんとに幸せだなあと思う。 三カ月そこそこで夏が終わるというのは実に惜しい。できることなら半年くらい続いてほしい。 少し前にアーシュラ・K・ル=グィンの「辺境の惑星」というSF小説を読んだ。これはすごく遠くにある惑星の話で、ここでは一年が地球時間になおすと約六十年かかる。つまり春が十五年、夏が十五年、秋が十五年、冬が十五年かかるのである。これはすごい。 だからこの星には「春を二度見ることができるものは幸せである」ということわざがある。要するに長生きしてよかったということだ。 (中略) シナトラの古い唄に「セプテンバー・ソング」というのがある。 「五月から九月まではすごく長いけれど、九月を過ぎると日も短くなり、あたりも秋めいて、木々は紅葉する。もう時間は残り少ない」という意味の唄である。 こういうのを聴いているとーすごく良い唄なんだけどー心が暗くなってる。やはり死ぬ時は夏、という感じで年を取りたい。」 と書いてある。 この人、SF小説が好きで、シナトラが好きなのか、と思って一気に親しみがわく。 ふーん、そんなSF小説があったのか、とも思う。 純文学の作家というと、何となく堅い感じで近寄りがたいという雰囲気だったが、夏の午後にショートパンツでロックン・ロールを聴きながらビールを飲むというところが、普通の人だと思わせる。 「あたり猫とスカ猫」という項もある。 この人はネコも好きだ。 あたりの猫にめぐりあう確率は、3.5〜4匹に一匹らしい。 ちょうど84年くらいに、フリオ・イグレシアスが流行った。 どういうわけか、村上春樹はフリオ・イグレシアスが嫌いらしい。 「しかし、僕の個人的な感想を言えば、あのフリオ・イグレシアスという人間は実に不快である。僕のこれまでの経験によると、あの手ののっぺりした顔立ちの男にロクなのはいない。財布を拾っても交番に届けないタイプである。ああいうのは五年くらい戸塚ヨット・スクールに放りこんでおけばいいと思うのだけど、きっと要領がいいから途中からコーチなんかになって他人をなぐる方にまわるに違いない。そういう男なのだ。 僕はそんな風に言うとフリオ症候群の女性は「ま、村上さんはそう思うでしょうね」と悪意に満ちた言い方をする。そう言われると、なんだか僕がことさら二枚目を嫌っているみたいである。」 こういう書き方は好きだ。 面白い。 この人には共感できる。 |
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