考えたこと2

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海外出張4
その次には中国に行った。

1988年のはず。
世の中がバブルに浮かれていた頃。
日本がぼちぼち中国市場について、考え始めた時期だ。

ぼくは生きて中華人民共和国の土が踏めるとは思っていなかった。
どちらかというと左翼系だった高校時代。
だいたい、小中高の先生も左がかっている人が多かった。
1988年にはもう左翼かぶれは終わり、まとも?な中道になっていた。
それでも、中華人民共和国に行ける、というのはちょっとした感動だった。
そういう話を飛行機の中で3,4年違いの若い人にしていた覚えがある。

山本七平の著作でだいぶ左から脱皮できた。

この時に、今の中国に対する考え方が決まったと思う。
今の中国では毛沢東はどう評価されているのだろうか。
建国の英雄でいるのだろうか。
それとも、文化大革命で晩節を汚し、知識人を大量虐殺し、むちゃくちゃをした人、ということになっているのだろうか。
中国共産党はそんなことは言えないだろうが…。

何が真実かはわからない。
それを経験した人だけが真実と思われるものを語ることができる。

ぼくはワイルドスワンという小説は、真実を書いていると思う。
この本を読めば、いかに彼が無茶をしたかということがよくわかる。
そんな国に行ったということだ。

上海の街を歩いていると、何となく微妙な感じだった。
はっきりと敵視されるわけではないが、かといって良くも見られない。
中には明確に敵視する人もいたが…。
今はもう中国側に余裕があるので、そんなことはないかもしれない。

今や国民総生産は日本よりも中国の方が上だ。
国際社会での存在感も圧倒的に中国が上。
日本の存在感は驚くほど薄い。

88年当時はそんなことはなかった。
何せ日本が世界第二位の経済大国だと言われ、東京の地価総額はアメリカ全土より高いと言われ、ゴルフの会員権が数千万になり、ゴルフ場がいたるところにオープンした。(今はほとんどつぶれたはず)
サラリーマンが700万のクルマに乗り、銀行や証券会社がバカみたいに新卒を採っていた。
メーカーで数十年勤めた人よりも、証券会社の新入社員の方が給料が高かった時代。
今から思うと、なつかしい。

不勉強にもぼくは中国の人はみんな共産党員だと思っていた。
向こうに行って、そのことを聞くと、現地の通訳の人が逆に驚いていた。
共産党員というのは、中国の特権階級のことだ。
共産党=特権階級という図式は言葉の意味からはオカシイが、中国人はわかっている。

いろんな驚くべき事があった。

いい勉強をさせてもらったと思っている。

| | 考えたこと | 22:24 | comments(0) | trackbacks(0) |
海外出張3
その次は香港に行かせてもらった。
アジアの出張は初めてで、バブルの最盛期だったと思う。

香港のお客さんに商品の説明をする、という出張。
ついでに現地の事情も見てこよう、というものだった。

このときは海外サービスの人と2人で行った。
何せホテルに着いて、フロントで何か聞かれているのだが、全く分からない。
一緒に行ったIさんが受け答えをしているのを聞いて、Iさんは中国語が話せるのだと思った。
しかし、Iさんが話していたのは英語だった。それほど、中国訛りの言葉だった。

香港の人たちは屋台で食べる事が多いということだった。
だから、女性が働くことができる。
屋台があるおかげで、安く食べる事ができるのが香港のいいところと言っていた。

しかし、あれからイギリスの統治が終わって、中国に返還されてしまったが、どうなったのだろう。

たしか、1987年。

当時はまだまだ香港というと、免税品の買い物の街だった。
向こうもそれを知っていて、夜になると海外からの客を狙って、ワゴンに腕時計やサングラスをいっぱい積んで回ってくる。
ちょうど今の中国の状態だろう。
ロレックスやオメガなどの腕時計が安く売られていた。
もちろん、違法だ。
こういうのを「バッタもん」と言う。
一流品の模造品のことだ。
冷静になって考えたら、夜中に道で一台のワゴンに総額数千万円になろうかという商品を入れて回っているのがオカシイ。

このときの帰りの飛行機の中で、バッタもんを買わされた2人の犠牲者を見たが、この話は「着陸間際」という題名で書いた。

また、お客さんのところに呼ばれて、宴会に行ったのだが、このときは遠方からの客ということで、来賓扱いされて、料理を一番にふるまわれて困った。
ぼくはゼラチン質を食べられないのだが、スッポンの料理があり、これは精力がつくからたくさん食べろと言われて、鍋から取りわけられた。
これを口に含んで飲み込もうとしたら、吐きそうになったのを覚えている。

それと、漢文を習っていて良かったと思った。
ぼくらは同じ孔子を学び、老子や孟子を学んだ。
ナプキンに学而習之と書くと、おお、お前もそれを知っているのか、と言われた。
当時の香港だからできた会話。
今の香港なら難しいかもしれない。
中国共産党は孔子を認めていないはずだ。

お互いに共通言語がある、というのはいいことだ。
漢字、漢文という共通言語でわかりあえる。

このときに、ああ、同じアジア人なんだなあ、と思った…、と思う。

昔の事なので忘れたが、たぶんそうだったんだと思う。

もう台湾だけになってしまったが、今でも同じような漢字を使っている国がある。
台湾が親日であることと、同じ文字を使っていることとはあながち関係がないとは言えない。
親近感があるのだと思う。


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