2006.06.24 Saturday
四畳半フォーク
70年代、四畳半フォークというジャンルがあった。
こんな言葉、もう死語に近いだろう。
四畳半フォークを定義して、Web上に色々と解説があったが、これが一番自分の感覚と合う。
「身の回りの限られた空間、社会、人間関係への思いを歌に込めた私小説的な色合いが濃い音楽」
(http://www3.ocn.ne.jp/~zip2000/enken.htm)より
「神田川」や「赤提灯」(かぐや姫)は完全に四畳半の世界だろう。
初期の井上陽水の「傘がない」とか、「人生が二度あれば」もそんな感じ。異論があるかな。
マイナーなところでは、あがた森魚、加川良、友部正人とか、いろんな人がいた。
RCサクセションも当初は四畳半系だったと思う。(今とはだいぶ違う)
「ちいさな石けんカタカタ鳴った」とか、「父は今年2月で六十五」とかいう歌詞。
ホントに四畳半一間の下宿…というイメージだった。
もちろん、ワンルームというような言葉はない。
下宿というと、バス・トイレなし、キッチンなしが当たり前だった。
畳敷きの部屋だけだ。
僕が下宿していた所は、1ヶ月の家賃が1万円くらいだった。
共同のトイレの前で、本当に四畳半一間だった。
机とふとんと冷蔵庫(生協で買った小さいヤツ)、卒業前にステレオとエレキギターが加わった。
ふとんをしまう押し入れはあった。
懐かしい。この頃のことについては、「タイムスリップ」に書いた。
でも、四畳半フォークというのは、僕が下宿する前(中学の頃)が全盛期だったろう。
僕が下宿していた頃には既にチューリップもガロもユーミンもいて、ぼちぼちシンガーソングライターというような言葉ができていたから。
ユーミンが出てきて、四畳半フォークは完全に廃れていった。
山下達郎や竹内まりや、オフコースが流行りだしたのもこのころ。
ユーミンのミスリムやコバルトアワーというようなアルバムは衝撃的だった。
かっこよかったのだ。
山下達郎のサーカスタウンは日本人離れしていたし、竹内まりやのユニバーシティ・ストリートはオシャレだった。
ユニバーシティ・ストリートを聞いて、みんな「バイバイ」の代わりに「バイビー」と言ったものだ。
四畳半からいきなり湘南海岸に、そしてアメリカ西海岸あたりまで飛んでいってしまった。
今また、森山直太朗などを聞くと、少し四畳半への回帰を感じる。
もちろん、明るいし、世界は広いけど…。
四畳半が流行った頃は、時代的には安保闘争の頃で、今の団塊の世代が大学生だった頃だ。
戦後が完全に終わり、時代が変わっていく、その変わり目であだ花のように一つの時代への惜別の悲しさ、閉塞感を歌ったのが四畳半フォークだったのかもしれない。
暗いけど、妙に懐かしい…僕にはそう思える。
最後の四畳半ヒットは、「22歳の別れ」ではないか。
この時、ちょうど22歳だった。
これは、よく歌ったなあ…。
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