考えたこと2

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倫理社会
毎日、高校の履修漏れのニュースが出ている。
その中で、倫理社会をやっていない…というような記事が出ていた。

倫理社会…懐かしい科目だ。僕にとってはすごく思い入れがある。

高校3年の時、倫理社会の授業が週に1時間あった。
その時間は、ほとんどの生徒が内職をしていて、あまり聞いていなかった。
(註:内職とは授業中に他の科目の勉強をすること)

そんな状態だったから、今も昔もあまり状況は変わっていないのかもしれない。

僕らの倫理社会の授業は特別だった。高校3年を終わって、倫理社会の教科書は新品のままだった。
教科書を一度も開かなかったのだ。
O先生が担当だったが、この先生は1年間かけて、伊藤仁斎、荻生徂徠、本居宣長の3人の儒学者・国学者について、プリントを配って、ひたすら読むという授業をやった。

どういうわけか、この授業が面白くて、儒教、朱子学、陽明学というような言葉をこの時に覚えて、何冊かそれについて書いてある本を買った。
意味がわからなくても、とにかく読むという、そんな授業だった。

O先生は、みんなが内職をしていても、おかまいなしにプリントを解説していた。
僕は、時々配られるプリントを、そんなに大まじめではなかったが読んでいたし、授業中は先生の解説を聞くのが楽しみだった。
だから、倫理社会の授業は、マジメに受けていた。
O先生はすごくいい先生だったと思う。
テキストを読む、という事を教えてくれた。

この話には、おまけがある。
その、倫理社会でやったプリントのテキストが入試の国語の問題に出たのだ。
きっと難易度の高い問題だったと思う。
僕は2行ほど読んで、あれ、これ知ってる…と思った。

本当にラッキーだった。

入試が終わって、高校に行ったとき、僕は職員室に行って、O先生にそのことを伝えた。
先生は少しうれしそうな顔をして、「結果が出るまで寝ておけ」と言った。

僕が番狂わせで合格したのは、O先生のおかげだったのかもしれない。

教科書は一度も開かなかったが、今となっては、あれが本当の勉強というものだった…という気もする。

そういう先生に出会えたのは、本当に運がよかった。

倫理社会という言葉をみると、今でもそのことを思い出す。

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