考えたこと2

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持続不可能な社会保障制度
先進国で少子化が進む要因の一つは、社会保障制度だと思う。
今の高齢者が多すぎて、その年金や医療にお金がかかり、それを保障する制度を維持するために、若い人たちからお金を集めすぎているのだ。
西欧の国々はそれを緩和するために、若い人を増やそうとして、移民を入れていった。
それが今、問題になっている。

日本の少子化は、こども家庭庁に9兆円も注ぎ込んでも、何の効果もない。
公金チューチューに回っているだけで、あの金を若い人に分ければいいのだ。
日本にもイーロン・マスクのような人がいれば、間違いなく潰しているだろう。

若い人たちにお金がないことが、少子化の原因だと思う。
生活に余裕がなければ、結婚もしなくなるし、働く意欲も減退する。
人生に希望を持つためにも、若い人たちにお金が回るようにしないといけない。

今、若い人たちにお金が回らない、政府がコントロールできる最大の要因は社会保障だ。
既得権を持っている役人や高齢者の票がほしい政治家たちが、頑なにそれを拒否している。
Webによると、

「2023年の社会保障給付金の総額は134.3兆円。
これはアメリカの国防予算に匹敵し、世界中から天才をかき集めて利益を叩き出す一流企業の年間売上高よりもはるかに大きな金額になります。」

もちろん、集めているのは働く世代からが6割、税金が4割で、使っているのはほぼ高齢者になる。
税金も働く人たちから集めたものがほとんど。
要するに、「現役世代が稼いだお金は 現役世代の社会保障として使われているわけではなく、ほとんどが年金で遊んでいる高齢者に注がれている」ということだ。

そして、厚労省自体が2028年には187.3兆円になると言っている。
まあ50兆円も増えるのだ。

現在のサラリーマンの払っている社会保障費は給料の15%だが、それは半分で会社の負担している15%が加算されている。
つまり、人件費に計上している額にはもう15%が含まれている。
だから、給料の30%が社会保障に持っていかれているのだ。

ぼくらの若い頃はそんな高額ではなかった。
高齢者の数が少なかったし、寿命も短かったからだ。
でも、これからどんどん高齢者が増える。
今よりも介護の費用も増えていく。
その負担も増えてくるのだ。

今の高齢者は払った社会保険料以上の金額をもらっている。
自分で積み立てたお金ではないのだ。
それをわかっている人がどれだけいるか、わからないふりをしているのかもしれない。

働く世代は、10%の消費税に文句をいうよりも、30%引かれている社会保障を問題にすべきだろう。
消費税は捕捉率で言うと、最も公平な税だ。
資産や所得は隠せるし、海外逃避もできる。
法人税は上げすぎると企業が出ていく。

れいわ新選組の「消費税反対」と言って踊っている連中は、自分たちがどれだけ社会保障に取られているか、わからない。
あるいは、消費税以外は払っていないのかもしれない。

最近、持続可能性という言葉を聞くが、もっとも持続可能性がないものの一つが今の社会保証体制なのだ。
だから、年金の支給開始を遅らせたりしているが、老人の増加のスピードに合っていない。

内閣府の試算によると、70歳くらいまで働くと年金は持続可能になるらしい。
70歳までは払う側に回るということだろう。

そういう現実を国民にちゃんと説明し、若い人たちにお金を回す努力をせず、安易に外国人を入れたりしているのが現実だ。
諸外国を見れば、移民の問題は非常に大きい。
文化や治安、教育など、いろんなところに影響が及ぶ。

さらに、社会保障のムダを削る努力も必要だ。
食事介助には介護保険の適用はしない、というルールは決めるべきだと思う。
胃に直接栄養を流し込んで、無理に寿命を伸ばそうとするようなことは、医療保険の適用外にすべきだ。
やりたい人は高いお金を払ってやればいい。

ぼくは母の死を見てきて、本当にそう思う。
もっと楽に、人生を締めくくることができたはずだ。
医療、介護の人たちも、内心ではそう思っているのではないか。
でも、金儲けのために寝たきりになっても生き永らえさせる。
年金目当てにそれを望む家族もいる。

もうこんなことは止めよう。

池田晶子氏も書いている。

「生存していることそれ自体でよいことである、という、人類始まって以来の大錯覚がここにある。しかし、生存していることそれ自体は、生まれ落ちた限りサルにでもできることで、いかなる価値も、そこにはない。それが価値になることができるのは、人がそれを「善く」生きようと努める、そこにしかあり得ないのだ。」

そのとおりだと思う。

| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 22:32 | comments(0) | trackbacks(0) |