考えたこと2

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うまくいかなかったらどうするのか その2
昨日の続き。

そういうような学校法人の大学で、2011年に学部の定員割れが起こった。
この時はもう2学部化していた。
まあ、学部を分けたから、定員割れが目立ったということもあるのだが、これは難しいところ。
共倒れになる可能性もあるからだ。
人が集まっているところは、分離して残しておいたほうがいい、という考えだった。

そこで、定員割れを起こしている学部のテコ入れを行った。
学科の改変だ。具体的には二つあるうちの一つを潰すということなのだが…。
ただ、大学の難しいところは、学科は潰すことができても、そこで働いている教員をクビにすることができないことだ。

いや、絶対できないわけではない。
以前は私立大学の教員は身分の保証が手厚かったので、雇用保険に入っていなかったのだが、2005年に加入が強制された。
というか、大学も潰れる時代だから、入っておきなさい、という厚労省の親心だったのだろう。
だから、原理的にはクビにできる。
民間企業と同じだ。

考えてみてほしい。
大学の商品の大きなものの一つは「学び」だろう。
その「学び」の内容が、志願者を集められないとなると、どうなるのか。
それは高校生のニーズがないということで、看板のかけ替えをせざるを得ない。
「悪いけど、あなたの教えている学問は人気がないので、もうやめましょう」ということになる。
ところが、それが教員の反発にあって、なかなかできないのが今の私立大学の一番の問題点。
売れない商品は、やめるしかないという当たり前すぎる話だが、それが通じない。

教員の解雇は原理的にはできるのに、なぜできないのかは、ぼくにはわからない。
訴訟になるとか、文句を言うとか、そんな話だった。
ワンマンの理事長がいるところとか、学長がすごく熱心だとかいうところは別だ。

だから文字通り看板のかけ替えにしかならないのだ。

大学というところは、顧客である高校生にそっぽを向かれたら生きていけない。
それは当たり前過ぎるくらい当たり前の話。
定員割れとはそういうことなのだ。

ここに専修大学が訴訟を受けた記事が出ているが、ここに書かれている「法人が提案する事務職員のポストや、リクルート・コンサルティングによる求職活動に応じられなかったのは、人生の大半を大学教員・研究者として働いてきたからです。わたしたちは大学で教育・研究するために、通常よりも長い年月をかけて教育を受け、学び、この職務を果たす能力を得ました。この職業を続けようと願うことが、それほど大それた望みでしょうか。」というような理屈が教員側にはあるからだ。

しかし、民間企業ならみんな当たり前のことだ。
ある年齢を超えたサラリーマンは、みんな人生の大半をその会社でその職に賭けてきた人だし、長い時間をかけてそれをやってきたのだ。
それが採算が合わないとなると、リストラ対象になる。
もちろん、努力をしてもどうしようもない場合だろう。
でも、だからといって、「この職業を続けようと願うことが、それほど大それた望みでしょうか」などということを言える人がいるだろうか。
だれも続けるなとは言っていない。よそでやってくれ、ということだ。

本気で、全く採算が立たない、赤字を垂れ流している事業部(学部・学科)が存続できると思っているのだろうか。
法人側は事務職員のポストや転職のためのコンサルを雇っている。こんな良い条件はなかなか無いだろう。
偏った意見だという批判はあるだろうが、甘えているとしかいえないとぼくは思ってしまう。

だいたい、こんな事になるまでには長い時間が経っているケースが多い。
その時間の間に、高校生に人気のある学問領域に変えるとか、自分で転職活動をするとか、自助努力はできなかったのだろうか。
まあ、優秀な人ほど早期退職制度に手を挙げるというからなあ。

とにかく、教員の研究領域というのは、よそから見てどんなに下らないと思われるものであっても、本人はとても大事だと思っていると思う。
そして、その説明責任は教員にある。
それが教員のアイデンティティだからだ。

しかし、学問、具体的には学部や学科の名前には、流行りすたりがある。
人気のない学部や学科は人が集まらない。
だから、私立大学が儲けるためにやっている以上、潰すしか仕方がないことだろう。
そんな理屈がなかなか通らないのだ。

そこには、教員との軋轢を避けようとする側面もあるんだろう。
何度か私立大学のいろんな事務員の集まりに出たが、たいがい教員の話になるとみんな同じ顔をする。
「ああ、先生ねぇ…」ということだ。
「メールを見ない」「電話に出ない」「研究室にいるのにカギをかけている」「提出物を出さない」などという文句が出てくる。
もちろん、私立大学にもまともな先生はいる。
しかし、社会適応できない「困ったちゃん」もたくさんいるのだ。

そういう人たちを何とかしつつ、学部改組をやらないといけなくなった、というのが2011年の話。

学部改組の動き自体は2010年からやっていた。
当時そういう組織が作られ、ぼくはメンバーだったからだ。
組織といっても、主だったメンバーは3人だったが…。

そして、その3へ続く。



| | 考えたこと | 22:56 | comments(0) | trackbacks(0) |
うまくいかなかったらどうするのか その1
ぼくは2009年から2011年まで、大学の事務局長という役職をやった。
経緯はいろいろあるのだが、それはおいおい書く。

当時やらなければならなかったのは、1学部を2学部化する、ということと、その片方の学部をどうするか、ということだった。
どうするか、というのは片方の学部は定員割れをしていて、この定員を回復しないといけなかったということだ。
すでに私学の4割が定員割れという時代だが、そのほとんどは地方の私学。
ぼくのいたところは、都市部だったので、4割という実感はなかった。
しかし、いったん人が来なくなった学部・学科に人が突然くるということはあり得ない。
パターンとしては、定員割れした初年度はちょっと割れるだけだが、何もしないと、2年目、3年目になると半分になってしまう、というケースが多い。

ちょっと話がそれるが、日本の私立大学は、日本私立学校振興共済事業団というのに入っていて、その事業団が私学が潰れないようにいろんなサービスをしてくれている。
民間企業から変わってきたぼくらが見ると、驚くようなサービスぶりだ。
例えば、こんな資料がある。

学校会計というのがあって、学校は企業と会計方式がちょっと違うのだが、それに基いて財務の健全性をチェックしましょう、という資料だ。
興味のある人はリンクを見てもらえばいいが、とっても丁寧というか、財務担当者をバカだと思っているのではないかと思われるような資料になっている。
でも、これに文句は出ない。
それどころか、こういうサービスをしないと、私学はやっていけない。

学校法人は、長らく左うちわの時代を過ごしてきた。
何もしなくても、儲かったのだろう。
しかし、少子化で下から(幼稚園から)順に苦しくなってきている。
そして、もう大学まで来てしまった。
来てしまったが、そういう厳しい時代を経験したことがない人ばかりだ。
だから、指導をしないと潰れてしまう。
まだ、いい時代の貯金があるが、それも底をついて厳しくなってきているのが現実。
すでに大学もいくつか潰れようとしている。
だから、私学共済事業団は加入者を減らさないために、指導を行っているのが現実だ。
民間企業の人は、こんな資料を見たらびっくりする、というかあきれるだろうなあ。

それを象徴するエピソードがある。
ぼくが大学に転職したときは、ちょうど会計システムを入れ替えたところだった。
ようやくサーバー・クライアントのシステムを法人が導入したのだ。
ぼくは企業ですでにそれを経験し、自分の伝票は自分で作成する、ということに慣れていて違和感はなかった。
もともとサーバー・クライアントの会計システムというのは、経理がまとめて処理するのではなく、みんなに分散させて業務を効率化しよう、というものだ。
だから、一人ひとり、自分の担当のものは自分で作成しないと意味がない。
しかし、事務局の課長で伝票を作成していたのはぼくだけだった。
他はみんな担当者がまとめてやっていたのだろう。
これでは、伝票の多いところは効率化しない。
それでも大学はマシな方で、法人では担当を2人増やしてそのサーバー・クライアントのシステムで伝票を作っていた。
なぜかというと、幼稚園や小学校、中学、高校はLANがつながっていないからだ。
だから、相変わらず手書きで送ってきたものを、電子化していたらしい。
これではそもそも入れた意味がない。
そんなことをやっていた。
効率化するシステムを入れて、人が二人増える、ということを矛盾だとわからないのだ。
これでは効率化できるわけがない。
その後どうなったのかは知らない。

そして、ちょうど1年後、新年度になって伝票を作ろうとしたら、参照ができない。
参照機能というのは、古い伝票を見て、それを直して新しくつくる、というもの。
どこのシステムにもそういう機能がある。
だからこそ、効率化できるのだ。
ところが、参照しようとしても、エラーが出る。
あわてて財務に電話をかけて、システムが壊れている、と言うと、担当者は「自分は伝票を作ったことがないから、詳しく教えてくれ」という。

「あのね、学校法人というのは、毎年同じようなことをやっているやろ。だから、伝票も同じようなものができることになるやろ。だから、伝票を作るときには1年前の伝票を参照して、それを変えたらすぐできるやろ。それができへんねん」

こう伝えたら、しばらくして電話があり、「年度が変わると参照はできません」と木で鼻をくくったような回答があった。
何でや、というツッコミは入れたが、仕様としてできない、と言われたらしかたがないのでもう諦めた。

しかし、数年後、このシステムを作った会社の人とひょんなことから仕事で一緒になり、「オタクのシステムは最低や。年度が変わったら伝票が参照できへん」と言ったら、「そんなことはありません。それは学校側がそうしてくれと言ったからですよ」と言われた。
「そらそうやなあ。年度をまたいで伝票が参照できないと、怒るわなあ…」と謝った。
そんな状態の財務部に電子化が効率よくできるわけがないのだ。
そして、もう諦めた。

だんだん思い出したら腹が立ってきたので、この続きはまた今度。
今日は本題に行けず。



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