考えたこと2

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うれしいかなと思っております
最近の日本語はオカシイと思う。

今日も、イベントを開催した主催者にインタビューしていたが、その人が言うには「来ていただければ、うれしいかなと思っております」ということだった。

「うれしいかな」の「かな」は終助詞と呼ばれるもので、文末について意味をつける。
「かな」は基本的には「か」と同じで、疑問を表す。
どちらかというと、「かな」になると自問ということらしい。
つまり、自問自答で相手に応答を要求しないということ。

「うれしいかな」というのは「うれしいだろうか」ということだが、ニュアンスでいえば、「たぶん、うれしいだろうと思っています」みたいな意味だろう。

冒頭の、「来ていただければ、うれしいかなと思っております」というのは、「もしもお客様がきてくれたら、多分うれしいと思うと思っております」ということになる。
かなりの婉曲(遠回しの)表現だ。

来てくれたらうれしいです、となぜストレートに言わないのだろうか。

もしだれも来なかったら、自分が傷つくのを恐れているのだろうか。
それとも、ストレートに言うと、来ないと悪いと客に思わせるのを遠慮しているのだろうか。
何となく、自分が傷つくのを恐れているような気がするなあ。
実際に誰かが来るかどうかはどうでもいい事だ。
自分の気持ちをはっきりと言ってくれたほうがスッキリする。

いずれにせよ、「うれしいかなと思っております」というのは、婉曲過ぎて、奥歯にものが挟まったような言い方だ。
みんな自分が傷つくのがこわいのだろうか。
もしもだれも来なくても、構わないよ、と言っているようだ。

何か一生懸命やって、ぜひ来てほしいと願うことがかっこ悪いことのように思うのかな。

そうだ、きっと思うのだろう。

来るか来ないかは相手のことで、関係ない。
自分は、来てほしい、と言うべきだろう。

なんかオカシイ。

| | 考えたこと | 23:11 | comments(0) | trackbacks(0) |
人間至るところ青山あり
「人間」は「じんかん」と読む。「にんげん」ではない。
「じんかん」は世間のこと。
「青山」は「せいざん」と読む。「あおやま」ではない。
「せいざん」は墓場のこと。

この言葉は中国の故事や漢詩からきた言葉かと思っていたら、違うらしい。
YAHOO知恵袋によると、日本人が作った漢詩から来た言葉だという。

上記サイトによると、元の詩は「男が志を立てて故郷を出るならば、学問が成就しないうちは死んでも還らないぞ。骨を埋めるのは故郷の墓地だけではない。この人の世、どこにでも墓となる場所はある。」という意味とのこと。

この最後の部分が「人間至るところ青山あり」という言葉の元になった。

「じんかんいたるところせいざんあり」というこの響きがいい。

青山は墓場のことだが、これは自分が骨を埋めるところ、というような意味だろう。
そう考えると、「世間には、どこにでも自分が骨を埋めるところがある」という意味になる。
つまり、世間は広いから、どこにでも自分が活かせる場所があるはずだ、ということだ。

こないだ、ラジオドラマで会社が倒産して失業した息子に、父親がこの言葉を言っていた。

そういう時に使う言葉らしい。

どこにでも、自分を活かす場所はあるんだから、それを見つけて頑張ろう、というような意味合いだ。
友だちなら、君の骨は拾ってやるからな、という感じか。

覚えておこう。

しかし、この言葉ももう死語かな…。




| | 考えたこと | 00:05 | comments(0) | trackbacks(0) |