考えたこと2

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読めない本
早く読める本と、なかなか読めない本がある。

得手不得手があるのだ。

田辺聖子の短編小説やエッセイが好きで、その手の本は面白く、すぐに読める。
馴染みになっている、ということか。

源氏物語もかなりのページ数だったが、田辺聖子版で一気に読んだ。
こんなに面白かったのか…と感心した。

その調子で、これもいけるだろう…と思って読みはじめたのが、「道頓堀の雨に別れて以来なり」という本。
文庫本だが、かなりの厚さで上・中・下の3冊になっている。
川柳作家の伝記巨編で、やっと上巻の終わり近くまで来た。
明治から昭和にかけての川柳界の変遷を、大阪の川柳作家を中心に据えてたどっているのだが、引用が多く、それが文語であったりするので、なかなか頭に入らない。

結局、自分の頭の中に予備知識がないのだろう。
そういう本は、読むのが遅くなる。

ふんふん、とうなずきながら読める本は、概して早く読める。
書いてあることに同意できるということは、さっきとは反対に、予備知識があるのだ。

しかし、予備知識があっても、これはおかしい…と思うような本は、読むのが遅くなる。
自分の考えと違うことは、頭に入りにくいのかもしれない。

そして、読むのが遅くなる本は、途中で止まる確率が高くなる。

本は必ずしも全部読む必要はない、読みはじめても、下らないと思ったら読むのをやめよ、と書いてあるのを何度か読んだことがある。
しかし、貧乏性なのと、ひょっとしたら面白くなるかも…という色気が出たりして、なかなか途中でやめられない。
読み終わってから、思わずため息が出る本もある。(もちろん、後悔のため息である)

それでも途中で止まっている本がたくさんある。(意識の中では、読むのをやめたのではなく、あくまで途中で止まっていると思っているのだ。)
それらは読んでない本の棚に戻したり、読んでない本の山を作る。

いつか精算しようと思うが、できるかどうかはわからない。

何年かの歳月を経て、「読めない本」が「読める本」に変わるという体験をしてみたいと思っていた。

残念ながら、ある年齢を超えたら、もう無理なのかもしれない。

それ以前に、読めない本を選ばないことか…。



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