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2019.01.26 Saturday
生きる価値
自分の人生の最期について、考えなければならない時期になってきた。
どういう最期が望ましいだろうか。 一つあるのは、管をつないで意識もなく延命するのは嫌だということだ。 実際にそうなったときに、本当に意識がないのかどうかはわからないが、少なくとも何日もその状態でいても仕方ない。 多くの人はそう思うのではないか。 おまけに、そこには費用が発生するし、それは日本の経済、とりわけ若い人たちの生活を圧迫する。 そんなことを考えると、早く逝ったほうがいい。 西洋には寝たきり老人というのはいないという。 なぜなら、自分で食べられなくなったら、それは死ぬということだ、というコンセンサスがあるからだと聞いた。 日本で寝たきりになるのは、寝たまま食事介助したり、胃に直接栄養を送ったりしているからだろう。 そういうことが、日本の平均寿命を押し上げているとしたら、それはあまりいいことではない。 西洋ではそれは虐待とも言われるらしい。 ぼくも、西洋の考えに賛成だ。 哲学者の池田晶子は、ソクラテスを引用して「善く生きている人にとってだけ、生きていることは善いことだ」と言っている。 単に長く生きることは価値ではないのだ。 実際、2015年の調査によると、「自分は延命治療は希望しない」という人が81%に達したとのこと。 大事なのは、まともな判断力があるうちに、家族にそういう意思表示をしておくことだ。 それをしても、実際にはどうなるかはわからない。 医者は処置をする義務があるらしい。 その義務を超える法律はまだない。 医療費のことを考えるなら、早くそういう法律を作るべきだと思う。 |
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