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2016.10.03 Monday
Yさんのこと
ぼくが会社に入って2年目あたりだったと思う。
当時実験室で振動や騒音の解析をしていて、計測器を使っていたのだが、別の事業部で最新型の周波数分析器を買ったということで、見に行ったのがYさんと会った最初だった。 Yさんは何かのプロジェクトをやっていて、その予算で解析機を買われたとのこと。 それがHP5420Aという、今でもヒューレット・パッカード社の解析機のメモリアルページに出ているマシンだった。 正式名称はDigital Signal Analyzerという。 メモリアルページに「70年代末の時点で、そのカテゴリーの中で最も洗練された機器」と書いてあるが、まさにそうだった。 当時ぼくらの実験室では、まだアナログの機械を使っており、HP5420Aがあまりにも便利なのにあきれ果てた覚えがある。 それほど便利だった。 おまけに、そのマシンはプロッターをつなぐとすごいスピードで結果を描いてくれる。 早すぎてボールペンではかすれるので、専用のサインペンを使っていた。 もちろん、CRTにも映るのだが、それを紙とテープに残せるのだ。 まさにデジタルのマジックだった。 当時のことだから、A-Dコンバーターというアナログ信号をデジタルに変える装置だけで、かなり大きな入れ物が必要だったが、それでも手押し車があれば、実験室の外に持っていけるという代物だった。 Yさんはそういった機器に詳しく、ぼくらに親切に教えてくれた。 そのおかげで、数年後に実験室の機器も新しくなった。 その時はぼくはもう実験室の担当ではなかったが…。 その後ぼくらの事業部の隣の課に来られ、よく話をするようになった。 とてもマジメな人で、当時商品耐久のプロジェクトをやっていて、胃を痛めたりしておられた。 また、Yさんは文房具好きで、いろんな新しい文房具を持っていた。 ぼくが文房具に凝るようになったのは、Yさんの影響だ。 とても整理がよく、何かを聞きに行ったらちゃんとファイルが出てきた。 特徴的な四角い字を書く人だった。 もう一つ、とにかくダジャレが多かった。 今ならオヤジギャグと言われるようなダジャレだ。 Yさん自身も「わかっちゃいるけど、やめられない」という感じだったなあ。 ぼくは何度か、「それ言うと思てました」と突っ込んだ覚えがある。 そういうと、いつもニヤッと笑って、「ほんまか」と言っておられた。 会社を辞めてからも、毎年年賀状を出していた。 なんでも、シルバーの方々の生涯学習のところで、コーラスをやっておられるとのことだった。 そのYさんが亡くなられたと今日連絡をもらった。 72歳。 まだ早いと思う。 亡くなられる前に、もう一度会いたかったというのは、いつも思うことだ。 きっと、天国でもダジャレを言って、してやったりとニヤッと笑っているんだろう。 あのオヤジギャグが受けているかな…。 合掌。 |
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