考えたこと2

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男女平等の世の中
知り合いのところに高校生の孫の男の子がガールフレンドを連れてきたとのこと。
孫が彼女を連れて来るとは珍しい、と言うとエクザイルのビデオを録っておくことを頼まれて、それを一緒に見に来たとのこと。
なるほど。そういう理由ならあり得ると納得。

その時のことだが、連れてきた女子が孫の男子を「お前」と呼んでびっくりしたという。
知り合いは60歳を過ぎているのだが、その年代の常識では女子が男子を「お前」と呼ぶというのはないだろう。
でも、今は男女平等だから、彼らは学校でずっと男女差のない教育を受けてきたから、それは仕方ないと説明した。
それでも、知り合いは納得出来ないという。

聞くと、孫は彼女のことを「お前」と呼んでいたとのこと。
それはどうなん?と言うと、それはさほど気にならないという。
まあ、そうやろなあ、と思う。
しかし、今の教育では男子には許されて女子に許されないことなどない、と説明する。
それを咎めるのなら、まず孫に注意しないと、女子にだけ注意したら怒られるよ、と話す。
「男の子が「お前」と呼んでもいいなら、女の子も一緒や。どうして男女差別をするのか?」と言われるのがオチ。
そういうと、「ふーん、それもそうやなあ」ということになった。

孫に帰り際に、「あの子、あんたのことを「お前」て言うてたで」と言っても、「そうやったかな」という返事。
言われた方はなんとも思っていないのに、知り合いはまたびっくりしたという。

そのことを20代の孫に電話で言うと、それはあかん、と言ったという。
まあ、育ってきた環境とか、学校の雰囲気とかそういうのもあるから、バラつきはあるのだろう。
でも、それは60代が感じている「あかん」とは違うだろう。

男女平等の問題は難しい。
どこまでが差別で、どこまでが性差による区別か、ということだ。
今回の場合、年配者が注意するとしたら、両方に対して自分たち大人がいる前では「お前」という呼び方は控えたほうがいい、というのが正解だろう。
どちらか一方に言うのは差別だと言われる。

でも、知り合いはそれは区別であって、それは女性らしさみたいなものに関わるのだ、という。
そういう意見はあってしかるべきだ。
しかし、年配者の考える「女性らしさ」と若い人たちが考えるそれは違う。

個人的には今の学校の平等は行き過ぎだと思う。
でも、それを指摘したら、たくさんのややこしいことが起こるだろう。
何が正しくて、何が間違っているのか、そんなことに線引きはできない。
それは差別だ、と大声で言われたら黙るしかない。
差別を声高に主張するほうがどうしても強くなる。

そういうふうにして伝統が破壊されていく。
悪しき伝統と思われているから、仕方ない。
ぼくは反対だが…。


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