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2016.04.04 Monday
やっかいになる
落語で十階の身の上、というのが出てくる。
二階にやっかい(厄介)になっている、という状況のことだ。 やっかいという言葉、語源は「家に居る」居候というところから来たという説と、「厄に会う」というところから来たという説があるらしい。 どちらかはわからないが、現在はあまりいい響きがない。 やっかいものとか、やっかいになる、というのは今の高齢化社会においては避けるべき状況、という感じだ。 誰でも人の世話になって生きるのは嫌だ。 それが仕方ない場合でも、できれば避けたい。 そういう教育を受けてきたのだと思う。 昔の時代劇でも、年老いた親が子供に「お前のやっかいにだけはなりたくない」と言うような場面が多かった。 貧しい家庭で働き手だった親が病気になったりした場面が多かった。 昔は年金制度などないから、働けなくなれば即やっかいものになる。 今の年金制度は「やっかいもの化」を防止する制度とも言える。 しかし、昔と違って日本人は特に長く生きる。 職業生活を終えてからの人生が15年以上あるのだ。 これは予定と違う。 おまけに子供の数が減ってきた。 人口ピラミッドが逆ピラミッドになっても、その制度を変えずにやっている。 だから、持つわけがない。 足りない分は国の借金を増やして、若い人たちからお金を回している状況。 結局、間接的にやっかいになっているのだ。 それを理解すれば、消費税を上げない、という選択肢はない。 年金生活者を苦しめるのか、という理屈は成り立たない。 逆に年金生活者も平等に払う、ということであり、やっかいものではなくなるのだから。 今考えるべきは、やっかいものになる時期を遅らせること、そしてやっかいものになっても応分の負担をすることだろう。 いっそのこと、高齢者と呼ばず、やっかいものと呼称すればどうだろう。 今は、高齢者の人口が3384万人、80歳以上人口が初めて1000万人を超えると言っているが、それをやっかいもの人口が3384万人、超やっかいもの人口が初めて1000万人を超えるなどと言う。 やっかいものは、大きな顔をしてはいけない。 やっかいものなんだから。 若い人たちの負担が大きくなり過ぎたら、ちょっと削ってもらってもいいですよ、という顔をすればいいのだ。 遅かれ早かれ、社会保障の財源は苦しくなる。 その前に、もう少し控えめになっておく方がいいと思う。 |
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