考えたこと2

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続 夢のない時代
ぼくらが会社に入った頃は、明日は今日より豊かになる、という漠然とした了解があった。
とにかく、待遇がよくなるのだ。
無邪気にそう思っていた。
だから、何となく明るかった。

欲しいものは、いつか手に入る、という気がしていた。
もちろん、クルマ、クーラー、カラーテレビは当たり前の時代。
1980年〜90年代。右肩上がり。
しんどかったが、会社は仕事をやればやったで、どんどん規模が大きくなった。

そんな時代に「夢があった」、と言えるのかどうかわからない。

バブルを迎えて、地価が上がり、ゴルフの会員権が上がり、株が上がり…、何となくオカシイと思いはじめたが、もう止まらない。
世の中が狂騒状態だった。

金融機関が人をとった。理系もたくさん銀行や証券に行った。今ごろどうしているのだろう。

そしてバブル崩壊。
公的資金が注ぎこまれる。

銀行は反省すべきだ。
土地自体は何も生み出さない。
何も生み出さないものに投資し続けて、はじけてしまった。
もちろん、アメリカの言いなりになって、お金をだぶつかせるという政策もあった。

飯田経夫という経済学者がいたが、これだけ豊かになって、これ以上何を求めるのだろう…と言った。

あの時代、夢があったのだろうか。

本当の夢はなかったのかもしれない。
みんなが浮かれて、それこそ泡のような夢を見ていた。

そう思えば、本当の夢はいつの時代も同じだ。

夢に向かって本当に努力する人だけが、夢を口にできる。

その数は今も昔も変わらないのではないか。

夢は個人のものだ。

暗い時代に押しつぶされてはいけない。




| | 考えたこと | 21:52 | comments(0) | trackbacks(0) |
夢のない時代
今は社会に夢のない時代。

ぼくらが小さな頃は、末は博士か大臣などと言われ、博士や大臣になるのが夢とされていた。(ぼくらがそう思っていたワケではない。)

今、博士も大臣も夢とはされていないだろう。

博士は1万6000人がちゃんとした仕事に就けずにいる。
というか、ちゃんとした仕事に就けない人が、博士になる…という逆説も成り立つだろう。
今の博士には、昔の博士のような意味はない。
課程を済ませ、論文を書いて、いい加減な査読を経て博士になる人もたくさんいる。
本人は悪くない。回りが悪いのだろう。

大臣もそうだ。
テレビで出てくる大臣といえば、酔っぱらって会見したり、謝っていたり…、
とてもエライとは思えない。
これは、エライ人が大臣になっていないということか。
二世議員の規制など言われているが、選ぶ人がいるのだからしかたがない。

核家族化が進み、夢も拡散してしまった。

ぼく自身が子どもの頃は、マンガ家になりたかった。
プロダクションを作って、アトムのようなSFのアニメをやりたかったのだ。

それから、ギタリスト、シンガーソングライター、作家…、二十歳をちょっと超えたところであきらめて、サラリーマンになった。
それでも、まだ社会に夢があった。
明日は今日より豊かになる。
マジメにやっていれば、きっといいことがある。

夢というのは、結局その時一生懸命にやってれば、何かしらあるものだろう。
意識などしなくてもいい。
結局「夢」なんて、考える時はろくな時ではないのかもしれない。

今は社会に夢がない。
明日は今日より豊かとは限らない。

それを何とかするべきなのが、博士と大臣だと言われていたのだが…。



| | 考えたこと | 00:31 | comments(0) | trackbacks(0) |