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2007.08.16 Thursday
クロネコヤマト
宅急便という言葉を初めて聞いたのは、昭和54年の12月。
何でハッキリ覚えているかというと、その時期に北海道の釧路で仕事をしていて、そこで聞いたからだ。 北海道は広い。 釧路は都会だが、商売は根室や網走などをカバーしないといけない。 当時、営業所間のモノの物流に宅急便が使われていた。 ある営業所で足りないモノを、別の営業所から送ってもらうという事だったと思う。 いちいちメーカーの物流センターに伝票を立て、モノを送ってもらうよりも、隣の営業所から融通した方が早い…ということだ。 なぜ、その方が早いのか…宅急便が翌日には配達するからである。 親切なドライバーさんが集配に来て、引き取っていったので、ヤマト運輸だったと思う。 「宅配さん」みたいな呼び名だった。 昭和51年に始まった宅急便は、昭和54年末には、釧路で当たり前に使われていたのだろう。 それまでは、大口の荷物をまとめて集荷し、まとめて運ぶというのが大手の運輸業界の当たり前の仕事だったのに、それを根本から変えたのが、クロネコヤマトの宅急便だ。それを、日本全国翌日には届けます、と言って実行したのがすごい。 宅急便開設当時は個人の家庭からのモノを送るのがメインだった。 インターネットの通販がこれだけ増えてくると、さらに個人あての配送事業は伸びるだろう。 もしも郵便小包しかなければ、今ほどインターネットの通販も普及しなかったと思う。 今はメール便もある。 切手を貼っていない郵便である。 運輸省の規制と戦い、郵政省とも戦った一企業がヤマト運輸。 遅ればせながら、日通や佐川も同じようなことをやり始めたが、クロネコは強い。 ペリカンよりも、ゆうパックよりも、クロネコである。 近所に集配所があるが、最近は自転車の後ろにリヤカーをつけて、近いところは人力で配達している。 エコロジーだ。この暑いのに、エライと思う。 若い従業員が、制服で忙しそうにしているのをいつも見て通る。 ヤマト運輸は同業者や民営化した郵便局に追いかけられているが、当分追いつかれることはないと思う。 それはシステムや規模、先行者の利益というような問題ではない。 「人」が違うのだ。 亡くなった小倉会長の志は簡単には消えないと思う。 郵便局など、100年たってもヤマトには勝てないだろう。 規模や人数ではない。 働いている人の気持ちなのだ。 エライ会社だと思う。 |
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