考えたこと2

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安保反対
トイレにポストイットのメモが置いてあるのは、前に書いたと思う。

何かを思いつくと、そこに書いて、別のノートに貼り付けている。
もちろん、ウィークデーの朝はそんな暇はない。
休みの日の朝は、気持ちもゆったりして、ふと何かを思いつくことがある。
そんな時に、このメモを使う。

今日見なおしていたら、安保反対のメモが出てきた。
「安保反対」といっても、僕らより少し若い人はもうわからないだろう。
「安保」は日米安全保障条約のこと。その条約の更新に当時の若者が反対したのだ。

もっとも大規模だったのは、1960年の安保闘争らしい。これは知らない。

ぼくが知っているのは、1960年代後半のことである。今では想像もできない、すごい運動だった。
まだ、小学生だったから、当時の白黒テレビのニュースで見たのだろう…。
それから70年代にわたって、ずっと学生運動が続いた。
過激派、中核、革マル、内ゲバ…などという言葉が、新聞紙面にあふれていた。

ぼくが今日見たメモに書いてあったのは、「どうして今も反対し続けない?」という言葉だった。

別に、反対していた人たちを責めているわけではない。

でも、あの時のすごいエネルギーは、本当に一過性のものだったのか…ということだ。
その後、ずっと安全保障条約は有効である。
あの頃まだ若くて、反対したが体制に押し切られ、涙をのんだ人もいたに違いない。
その年代の人たちが、今は世の中を仕切っているはずだ。
今なら、あのエネルギーがあれば、一致団結して破棄できるかもしれない…というふうにはなっていないらしい。

おもしろい…といえば、怒られそうだが、それは鬱屈したエネルギーが対象を求めているときに、偶然居あわせたようなものだったのか、それとも、若気の至りで後から思えばマチガイだった、ということなのか。

中途半端な気がしたから、そんなメモを書いたのだと思う。

若い時、何かに取り憑かれることはある。
それがあったということは、幸せなことなのか…。
残念ながら、ぼくにはわからない。

いずれにせよ、その思いには答えが出ていないし、もう出ることはないのだろう。

今思えば…どうなんだろう?



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