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2006.10.21 Saturday
メジャーとマイナー
メジャーとマイナーというと、昨今では大リーグの話かと思われるが、そうではない。
メジャーは大衆的、マイナーはマニアック、という意味もあるが、そうでもない。 音楽の長調と短調のことだ。 もとの音に三度ずつ音を積み上げていく。 最初の音がドだとすると、ミは長三度で、ドミソはメジャーの和音になる。 ミを半音下げたミ♭にすると、これがドに対して短三度になり、ドミ♭ソになると、マイナーの和音になる。 コードでいうと、Cがメジャーで、Cm(シーマイナー。センチメートルではない)が文字通りマイナーの和音になる。 一般的にはマイナーのコードで始まる曲は短調、メジャーのコードで始まる曲は長調になる。 どんな曲がマイナーでどんな曲がメジャーかというと…。 ピンクレディの曲は、マイナーが多い。「ペッパー警部」や「UFO」、「サウスポー」、「ウォンテッド」、「カルメン77」など。 キャンディーズはメジャーの曲が多くて、「年下の男の子」や「春一番」など、明るい。 ユーミンでは、「埠頭を渡る風」や「あの日にかえりたい」がマイナーで、「やさしさに包まれたなら」や「12月の雨」、「ルージュの伝言」などがメジャーである。 メジャーの曲は明るい響き、マイナーの曲は暗い響きである。 ずっとそう思ってきたが、考えてみると不思議なことだ。 僕にとっては、実際に長調は明るく、単調は暗い。小学校や中学校の音楽の授業でもそう習った。 小学校の音楽室で、先生がドミソとラドミの和音を、こっちが明るい感じ、こっちは暗い感じ…と弾きわけてくれて、ごく自然に「その通りやなあ」と思ったし、その時から印象は変わらない。 君が代はマイナーでちょっと暗い感じだし、アメリカの国歌はメジャーで明るい感じがする。 本当にそう感じるのだ。 しかし、明るいとか暗いとかいうのは、主観の問題だろう。 そういう風に教えこまれて、明るい、暗いを決めたわけではない。それが、不思議だ。 誰もがそう感じるのだろうか。 文化が違えば、違うかもしれない。 インドの音楽やイスラムの音楽を聴くと、短調なのか長調なのかわからないものもある。 浄瑠璃の三味線などは、短調っぽいが…詳しくはわからない。 西洋音階でいう、三度の音がもともとない音階になると、長調・短調の区別がつかなくなるのかな…。 しかし、ドレミファソラシドで作られた音楽でいうと、長調は明るいし、短調は暗い。 一体、誰が決めたんだろうか…。 人間の脳の奥深い部分に、イブの時代から刷り込まれたものがあるのだろうか。 それとも、所詮はここ数百年の産物なのだろうか。 ひょっとしたら、音楽の授業の時に、マイナーの曲を聴いて、「どこが暗いねん…」と思ってた人もいるのかもしれない。 自分の気持ちさえわからない自分だから、自分の感性に自信がない。 メジャーとマイナーというのは、はたして人類の共通言語なのか…。 |
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