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2022.04.24 Sunday
エシカルは偽善
今朝の日経に「エシカル消費」のシンポジウムの宣伝が出ていた。
日経が全面広告を自ら出している。 全面広告だから売ればかなりの額になるはずだが(それもカラー)、自社の宣伝をしないと埋まらないということは、新聞社もかなり厳しいのだろう。 講演者は消費者庁長官、JA全中会長、セブン&アイホールディングス役員、日本エシカル推進協議会副会長といった面々。 おなじみのSDGsカラーの宣伝もしていて「わたしたちは持続可能な開発目標(SDGs)を支援しています」と書いてある。 エシカルというのは、倫理的という意味。 倫理的な消費というのはどういうことなのだろうか。 「倫理」というのは人間独自のものだと思う。 対義語を調べると、明確になっていないようだ。 「物理」とか「道理」とか書いてある。 結局「倫理」の対義語は「反倫理」とかになって、同義反復に近くなるのだ。 当然、人でなくなれば、倫理も適用されない。 もしも人間が動物と同じように本能のままに生きれば、エシカルという言葉も意味がない。 ヒトという動物になって、自力で食物連鎖の中で生き、文明を捨てれば究極のエシカルだと思う。 これは極論だが、エシカルという言葉にはそういう不可能性があると思う。 動物のヒトから文明を築いた人間になって、胸を張って「エシカル」などといい格好をするのは恥ずかしい行為だ。 所詮他の動物を殺し、石炭や石油を燃やしまくって生きてきたのだ。 その積み上げの上にいながら、何が「エシカル」だ。 エシカルというのなら、自分の生活をよく考えてみればいい。 この人たちは真剣に生産活動に参加したことがないのだ。 ましてや、「消費」という文明が生み出した結果の最たるものと組み合わせるのは、どういう神経をしているのかと思う。 ぼくは今の時代に「エシカル」などという言葉を胸を張って言う人たちは偽善者だと思う。 今の人間は、生きているだけで罪深いのだ。 それを潔く認めることから始めないといけないと思う。 |
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