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2022.04.11 Monday
手塚治虫と池波正太郎
ぼくが初めて見たアニメは「鉄腕アトム」。
手塚治虫の作品だ。 日本のアニメはここから始まった。 アトムは天馬博士が息子を亡くして、息子の代わりに作ったロボット。 あの当時のアニメは今と比べると全く稚拙なものだったが、手塚の思想がちゃんと入っていたと思う。 それを一度書いたhttp://hdsnght1957kgkt.blog.bai.ne.jp/?eid=234225。 鉄腕アトムには葛藤があった。 ロボットはロボットと殺し合いをするが、それは正義なのかというようなものだ。 物事は相対的に見ないといけない。 片方の正義は、もう片方の悪かもしれない、ということだ。 でも、息子たちが見ていた戦隊モノはそうではなかった。 悪者は徹底して悪だ。 滅ぼすことが絶対善なのだ。 一度子どもに、悪者の方から見たら、逆に見えるのではないかと言ったが、そんなことはない悪いやつはやっつけなければいけない、という返事だった。 水戸黄門のように勧善懲悪の思想だ。 それはそれで良いのだと思うが、やはり世の中は一筋縄ではいかない。 いい人だったと思った人が、悪いことをしたりする。 そういう自分も、いい事ばかりしているわけではない。 そういう関係で世の中は成り立っているのだ。 それは池波正太郎の作品にも通じる。 人はいいこともすれば、悪いこともする、という哲学。 桃太郎侍や水戸黄門、大岡越前などと違って、鬼平犯科帳の隠れた主人公は盗人たち。 改心して、長谷川平蔵の密偵となって活躍する。 そこがこの作品の魅力。 手塚も池波も1920年代の生まれで、第二次大戦を体験している。 その影響もあるのだろう。 どちらの作品にも共通のものを感じる。 戦争を挟んで、180度世の中が変わった。 昨日まで正しかったものが、間違いになった。 そういう体験をしたからかもしれない。 人間のやることなど、そんなものなのかもしれない。 手塚も、池波もそう考えていたのだと思う。 |
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