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2023.01.21 Saturday
叔父の葬儀
叔父がなくなって、通夜と葬式に行ってきた。
おばさんは母の妹で、母が出席できないので代わりに行った。 おばさんの伯父さんはもう100歳を超えて、来ることができないので、従兄弟が代わりに出席。 こないだ書いた「長すぎる寿命」の状況だ。 今日はかろうじて親戚以外に叔母の知り合い夫婦2名が来ていた。 実家を引き払うときに、古い写真が出てきたが、その中の1枚にぼくが小学校1年のときに亡くなった祖父のお墓を建てたときの写真がある。 白黒の写真だが、そこには祖母の兄弟姉妹、そのつれあい、娘3人の夫婦と子供(その中の1人がぼくだ)など約20人ほどが写っていた。 祖父は60歳になるかならずの時に胃ガンで亡くなった。 今で言うと早い死だ。 早いからこそ、たくさんの人が集まった。 祖父は兄弟も多く、面倒見が良かったということもあるが、それでも親族が20人ほど集まったのはすごい。 昭和38年のことだ。 きっとあの頃はそれが普通だったのだろう。 叔母さんもその写真を見ていたらしく、今日その話になって、今とは全然違うなあと言い合った。 確かに、叔父さんもあと20年ほど早く亡くなっていたら、もっとたくさんの人が集まっただろう。 母も元気だったし、もう一人の叔母さんもその子どもたちも元気だった。 長すぎる寿命が寂しい葬儀を生んだ。 葬儀社も小さな部屋で家族葬がメインになっている。 斎場でも、家族葬と思しき少人数の集まりばかり。 1件だけ、バスでたくさんの人が来ていた。 偶然、遺影を見ると、やはり若い。 まだ学生だったろう。 早すぎる死には、やはりたくさんの人たちが集まる。 遅すぎる死は、もう儀式としての死なのだろう。 生きながら、ゆっくり死んでいくのだ。 |
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