考えたこと2

2024.9.24から、今までhttp:で始まっていたリンクが、https:に変わります。申し訳ありませんが、リンクが見られないときは、httpsに変えてみてください。
CALENDAR
<< April 2025 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 >>
+RECENT COMMENTS
+CATEGORIES
+ARCHIVES
+PROFILE
+OTHERS
笑福亭仁鶴
仁鶴が亡くなった。84歳。
先代の松鶴の弟子で「お前は松竹より吉本が向いてる」と言われて吉本興業に入ったと聞いた。
ぼくが中学の時に落語をやりたいと思ったのは、仁鶴のおかげ。

4題の落語が入ったLPを買った。
七度狐、黄金の大黒、貧乏花見、池田の猪買いだったはず。
高校に入って、落語研究会に入ろうと思っていたが、それがなくて帰宅部になった。

3年になって、落研を作ろうと思った。
その経緯はここに書いた。

当時の仁鶴は上方落語のヒーローだった。
その時代はそんなに長く続かなかったが…。

大学に入って、落研に入り、最初の大きな寄席でやった演題が七度狐だった。
もちろん、仁鶴のネタで覚えた。
1回生の間はずっと仁鶴のネタをやっていた。
ぼくの4年間の出囃子も仁鶴と同じ「だんじり」。

とにかく面白かった。
どんなんカナーとか、うれしカルカルとか、ギャグも多かった。

ただ、仁鶴は前座噺は面白かったが、大きな噺は苦手だった。
だから、トリネタはあまりできなかったし、面白くなかった。

落研では仁鶴より襲名した枝雀の方が圧倒的に人気があった。
それは今となってはわかるのだが、当時のぼくは仁鶴が好きだった。
3回生になって、ようやく枝雀のファンにもなったのだが…。

今でもぼくの落語のヒーローは仁鶴だ。

ご冥福を祈る。


| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 21:32 | comments(0) | trackbacks(0) |

コメント
コメントする









この記事のトラックバックURL
http://hdsnght1957kgkt.blog.bai.ne.jp/trackback/238852
トラックバック