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2017.12.14 Thursday
討ち入りの日
12月14日は討ち入りの日だ。
赤穂藩主の浅野内匠頭が吉良上野介に殿中でバカにされ、刃傷沙汰に及んだ。 吉良は傷は負ったものの助かり、一方で浅野内匠頭は切腹を申し付けられる。 切腹をした主君の仇を討つために、家老の大石内蔵助以下47名が1年以上をかけて準備して、吉良邸に討ち入ったのが、12月14日。 俗にこの仇討ちのストーリーを「忠臣蔵」という。 1964年、ぼくが小学校2年の時に赤穂浪士という大河ドラマがあって、それを一家で見ていた。 全話の平均視聴率は31.9%もあったという。 その後亡くなった祖母が、12月14日は「忠臣蔵」の討ち入りの日、と言っていて、覚えてしまった。 劇場で入りが悪くなっても、忠臣蔵をやれば客が入るとか、忠臣蔵は日本人の心情を表しているとか、そういう話も聞いた。 テレビで時代劇が盛んなころは、年末になるとどこかの局で「忠臣蔵」に類するドラマをやったり、昔の映画をやったりして、12月は討ち入りの月、という感じだったなあ。 80年代くらいまでそういう感じだったように思う。 さすがに90年代後半くらいから、知らない人が増えた。 大石内蔵助って誰のこと?という時代になったということだ。 今は若い人たちに聞いても、ほとんど知らない。 仇討ちという言葉も、江戸時代に使われたニュアンスで使われることもなくなったと思う。 ちょうど古い価値観が消えていったのと同じようなものだ。 武士とか、忠義とか、昔の「家」とか…。 封建時代の価値観だから、今には似合わないのは確かだ。 しかし、昭和生まれのぼくらの心に響くものがあったのも事実。 下宿で夜更かししたときには、朝の5時からラジオを聞いた。 12月に入ると、おはよう浪曲という番組は忠臣蔵一色だった。 刃傷松の廊下とか、天野屋利兵衛とか、懐かしい。 浪曲のしゃべりは落語に通じるものがあって、なかなか面白かった。 当然、ぼくの周りの同年代の人たちも、討ち入りの日というのを知らない人が多い。 ぼくは祖母の影響で、それを覚えた。 明治や大正生まれの人たちはどの程度知っていたのだろう。 日本人の記憶の中で、どんどん失われていくものの一つなんだろうなあ。 12月14日は「討ち入りの日」。 |
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