考えたこと2

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認知症の恐さ
人生には、いろんな時期がある。
人との関わりでいえば、こんな風になると思う。

 誕生
 ↓
 何も考えない時期
 ↓
 自分のことしか考えない時期
 ↓
 他人とややこしい時期
 ↓
 自分のことしか考えない時期
 ↓
 死

生まれてしばらくは本能のみで生きている。
これが何も考えない時期ということになる。
その後自我が出てくるが、心理学によるとそれはまず「自分の快不快だけ」ということだ。
腹が減ったら泣き、気分が悪いと泣く。
その後、他人の存在が認識され、その中でややこしく生きていく。
最初は親や兄弟だけだが、その後どんどん関係が増える。
そしてそれが何十年と続く。
しかし、死の直前になると、また自分のことしか考えなくなる(考えられなくなる?)んだと思う。
それは昏睡状態になった時にわかるんだろう。
これを俗に、「楽になる」という。
そして死に至る。

認知症というのは、この死の前の「自分のことしか考えられない時期」が早く来てしまう病気だと思う。
他人とのかかわりをすべて忘れる。
認知症になれば、最期は痛みも感じないということだから、本人は楽だ。
もちろん、そこまではかなりジタバタする。
ジタバタするが、しんどいのは周りの家族になるだろう。
そこが一番苦しいところ。

今の理想でいえば、死の直前の「自分のことしか考えられない時期」は短い方がいい。
一応、今の自分をベースにして、自分のまま死にたいということだ。

「人間」という言葉は誰が考えたのか知らないが、よくできた言葉だ。
ヒトという動物が、人と人の間で生きているということをうまく表している。
人間関係の中で生きているということだ。

認知症は、人間をヒトにしてしまう。

生きてはいるが、それはもうその人の「人生」ではなくなる。

だから、恐い。


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