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2017.07.02 Sunday
肩書き
35年間名刺を使ってきて、3年前に名刺のない生活に入った。
最初は肩書きがないというのは不便なものだと思った。 名前だけの名刺をプリンタで作ったりした。 何かあって研修会などに行くと、まだまだ名刺を持った人が多い。 名刺を持っているということは、どこかの組織に属しているか、何かはっきりした生業があるということだ。 それでも、ないならないで、気楽なものだとわかったのは1年後くらい。 もともと人間は生まれながらに肩書きなど持っていない。 学生時代は名刺など縁がない。 それが社会人になって、名刺を持つようになる。 入社後、配属されて100枚入りの名刺の箱をもらっても、ほとんど使うことなどなかった。 営業などに配属された人は、すぐに使うだろうが、ぼくは実験だったので、名刺など使わなくてもOKだった。 でも、対外的な仕事をするようになると、名刺が要る。 日本では初対面の社会人が仕事で会ったら、名刺を交換するというシステムがある。 そういうシステムの中で45年間過ごした。 もらった名刺は膨大な数だったが、3年前に全部処分した。 あれはよくできたシステムで、名刺を交換すると、それは仕事上で知り合いになったという意味だ。 ほとんどその人のことを知らなくても、かまわない。 いついつお目にかかって、お名刺を頂戴した○○社の誰それですが…、という具合に電話がかかってくる。 そして、お名刺を見てご連絡を差し上げました、と言われると話を聞かないと仕方ない。 まったく相手のことを思い出せなくても、それが通用する。 それなりに、名刺をゲットするということには、意味がある。 しかし、名刺を持たなくなると、本当にその人について知らないといけない。 5分、10分話した程度で、その人のことなどわからないから、リアクションのしようがない。 よほど何かあって、話をしないとその人がわからない。 それが個人と個人の関係。 結局、肩書きがあると、その人を知らなくても、かまわないのだ。 どこそこ会社のなになに課長とかいうことがわかれば、用は足りる。 仕事を離れて、意気投合することはあるが、そんなことは滅多にない。 名刺交換した人で、その後も個人的に付き合っている人などほとんどいないのが事実。 社会人の、仕事上のつきあいということになる。 人間、最後は肩書きなど関係なくなる。 そういう中で、どれだけ知り合いの人が残るか…。 そこがこれからの課題かな。 |
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