考えたこと2

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一人称
どういう時に、どういう一人称を使うか、日本語の場合は難しい。

一人称の種類が多いからだ。
これが日本語の特徴かもしれない。

わたし、ぼく、俺が標準的な男性の言葉。
わい、わし、あて、というような方言もある。

フォーマルな場所で、社会人としてふるまう時は、わたしを使う。
このあたりは、会社勤めをしているかどうかが、わりと関係する。
一人でやっている仕事などでは、わたし、というのを使わないケースもある。

友達の間では、ぼく、俺、というのが多い。
飲み会などでは、特にそうだ。
ぼく、というのは、くだけ過ぎず、おさまり過ぎず、好ましい一人称だと思う。

俺というのは、オレオレ詐欺というのもあるように、知っていて当たり前、という間柄で使う。

まあ、目上の人にはわたし、と言っておいて、目下の人には俺、というパターンもよくある。
○○さん、と呼ばれたら、俺か?と返すパターン。
日本語は上下関係に敏感だから、さん付けで呼ばれると、自動的に俺とかぼくになる。
逆に○○、と呼び捨てで呼ばれると、私ですか?という反応になる。

この調子で、古文では主語がなくなることが多かった。
使っている言葉で、目上か目下かはわかるからだ。

ぼくは、このブログでは、ぼくを使う事にしている。

ぼく、というのが一番ぴったりくるからだ。

そう考えると、西洋の言葉は一人称がほぼ一つ。
英語ではIである。
大統領でも、乞食でもI。

どっちにも、良さがあるが、この一人称の種類がほぼ一つ、というところから、人間関係も変わってくるだろう。
やはり、英語では、どちらかというと、上下関係を意識しにくいのだと思う。
人は、神の前では平等、という考え方と無関係ではないと思う。

日本語の場合は、自分がはっきりしない。
だから、一人称がたくさんある。
時代と共に変わっていく。
だから、自己主張が弱くなるのではないか。
回りに気を使って生きている。

一長一短だ。

以前は英語の潔さにひかれていたが、最近は日本語の良さも捨てがたいと思う。

年をとると、変わってくるのだろう。


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