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2011.06.06 Monday
プロレタリアート
プロレタリアートという言葉、聞かなくなって久しい。
労働者という意味だ。 マルクスが使った言葉。 その対になるのが、ブルジョアジー。 資本家という意味。 ぼくらの10代の頃は、そんな言葉がよく使われていた。 マルクスの資本論という本は有名だった。 唯物主義とか、唯物史観という言葉もそれにひっついて言われていた。 ぼくらの先輩、ちょうど団塊の世代の人たちは、一番流行った世代だったと思う。 学生運動という言葉も、それと同時に使われた。 朝日新聞が中国礼賛をしていたころ。 毛沢東の全盛期だった。 高校の社会の先生も、中国やソ連びいきで、ことあるごとに共産主義をほめていた。 今から思うと、かなり偏向した先生だったが、当時はそんな先生が多かったと思う。 当然、ぼくらも左寄りになった。 左翼というわけではないが、当時は左寄りの生徒は多かったはずだ。 ところが、ぼくらが高校のころから、内ゲバというのが流行った。 内ゲバとは左翼の内輪もめのこと。 鉄パイプで殴り合いをして、殺される人もでた。 それで、学生運動も下火になり、ぼくは覚めた。 そんな学生時代を過ごして、社会人になって、30代のころ山本七平の本に出会い、今までの自分がオカシイと思った。 今はその延長上にいる。 でも、当時は世の中をはかるのに、右か左かという軸があってよかったと思う。 自分の場所がわかったし、共通の価値があった。 それが、自由だ。 世の中はすでに自由だったが、それでも自由が価値だった。 ひるがえって、今、共通の価値は何だろう。 それはカネだろう。 老後の社会保障だとか、医療保険だとか、あの当時自由を価値だと思っていた人たちが変わった。 どういうことだ…。 |
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