考えたこと2

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プロレタリアート
プロレタリアートという言葉、聞かなくなって久しい。

労働者という意味だ。
マルクスが使った言葉。

その対になるのが、ブルジョアジー。
資本家という意味。

ぼくらの10代の頃は、そんな言葉がよく使われていた。

マルクスの資本論という本は有名だった。

唯物主義とか、唯物史観という言葉もそれにひっついて言われていた。

ぼくらの先輩、ちょうど団塊の世代の人たちは、一番流行った世代だったと思う。
学生運動という言葉も、それと同時に使われた。

朝日新聞が中国礼賛をしていたころ。
毛沢東の全盛期だった。
高校の社会の先生も、中国やソ連びいきで、ことあるごとに共産主義をほめていた。
今から思うと、かなり偏向した先生だったが、当時はそんな先生が多かったと思う。

当然、ぼくらも左寄りになった。
左翼というわけではないが、当時は左寄りの生徒は多かったはずだ。

ところが、ぼくらが高校のころから、内ゲバというのが流行った。
内ゲバとは左翼の内輪もめのこと。
鉄パイプで殴り合いをして、殺される人もでた。

それで、学生運動も下火になり、ぼくは覚めた。
そんな学生時代を過ごして、社会人になって、30代のころ山本七平の本に出会い、今までの自分がオカシイと思った。

今はその延長上にいる。

でも、当時は世の中をはかるのに、右か左かという軸があってよかったと思う。
自分の場所がわかったし、共通の価値があった。
それが、自由だ。

世の中はすでに自由だったが、それでも自由が価値だった。

ひるがえって、今、共通の価値は何だろう。
それはカネだろう。
老後の社会保障だとか、医療保険だとか、あの当時自由を価値だと思っていた人たちが変わった。

どういうことだ…。


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