![]() |
2007.04.04 Wednesday
うそ
4月1日はエイプリル・フールだった。
余裕がある頃は、明日はエイプリル・フールだから…とウソを考えたこともあった。 昔は、今よりもエイプリル・フールが盛んだった(盛んとはどういうことか、という声はあるだろうが)という気がする。 今でもないわけではないが、新聞に面白い記事があったり、ニュースでエイプリル・フールにちなんだ話があったりしたように思う。 最近はテレビをあまり見ないから、やっているのかもしれないが…わからないだけかな。 何となく世相が暗くて、エイプリル・フールどころではないのかと思う。 この日についてもいいウソとは、罪のないウソということになっている。 罪のないウソというのは、だまされた方も笑ってしまうというようなウソのことだろう。 自分のためにつくウソは、よくない。罪がある。 でも、罪のないウソもあるし、人を救うウソもある。 ウソも方便という。 英語では、ぴったりと来るものがないようだ。色々なサイトに出ているが、“The end justifies the means"という感じらしい。 結末がよければ、方法は正当化される(だから、そういうウソならよい)ということ。 ウソというと、「めぐり逢い」という映画のクライマックスのシーンを思い出す。 エンパイアステートビルの屋上で会おう、と再会を約束した男女が、結局は会えずに離ればなれになってしまう。 実際には男は会いに行って、ずっと待っていたが、女は来なかった。女は会いに行く直前に事故に遭い、行くことができなかったのだ。 おまけに、その事故のために、女は歩くことができなくなってしまう。 その二人が、時を経てもう一度会う。男が女の家に訪ねていく。 女はソファーに座ったまま、応対する。 そこで、男は「ぼくは行かなかった」とウソをつく。 女は、「私は行ったのよ」とウソをつく。 男は、女が来なかったことを知っているから、ウソをついたのだし、女は、自分が行けなかったことがわかっているから、ウソをついたのだ。 結局はそのあとハッピーエンドになるのだが、このシーンは泣かせる。 お互いに、相手を傷つけまいとして、ウソをつき合うのだ。 途中で話が変わってしまったが…いいウソもある。 いいウソをつけるのが、本当のオトナなのかもしれないなあ。 |
![]() |