考えたこと2

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仁鶴
僕が落語をやりたいと思ったきっかけは、中学校の時に出てきた笑福亭仁鶴である。

やたら面白かった。
その頃は、仁鶴が初代の春団治に似ているとか、そんなことも知らず、とにかくそれまでの落語というイメージ(これは主に米朝だったが…)を飛びこえたような感じだった。

中学2年の時、仁鶴が出ていた、MBSヤングOh!Oh!という番組も、友達と見に行った。
すごく人気のあった頃で、夕方の4時から整理券を配るのだが、昼過ぎに行ったら、すでにビル一周分の列ができていた。

ステージの前に出てきて、「写真か!」と言ってポーズをとっていた。
「どんなんカナー」というギャグも、今から思えばなぜおかしかったのかわからないが、おかしかったなあ…。

「七度狐」「貧乏花見」「辛子医者」「池田の猪買い」「向う付け」「黄金の大黒」「借家怪談」「代脈」「湯屋番」など…。
レコードも買って、何度も聴いた。

落研に入っても、仁鶴のネタをやっていた。(その頃は既に、落研の中では後年襲名した枝雀の方が人気があったが、やっぱり僕は仁鶴が好きだった)
自分の出囃子(舞台に出るときに鳴らすおはやしのこと)も、仁鶴と同じ「だんじり」というのにしてもらった。

大きなネタのできる人ではなかったが、若いころの仁鶴は勢いがあった。
とにかく笑わすというパワーがあったと思う。

しかし、枝雀が襲名してから、どんどん勢いがついてきて、仁鶴はちょっと影に隠れてしまった。
喉を悪くされたようだったし…。

さすがに、枝雀のすごさは納得するしかなかったし、実際すごい芸人だったと思う。
化けた人だった。

そんなこんなで、落研時代の後半は、枝雀のネタもやった。

でも、1970年頃の仁鶴は本当に面白かった。
彼が上方落語の再興に一役買ったことは間違いないと思う。

あの面白さは何だったんだろうか…。
枝雀の面白さとは違う面白さだ。
哲学的な枝雀の笑いに対して、直感的な笑いだったと思う。

昨日の夜、仁鶴の古い録音を聞いて、思い出した。

あんな落語家、また出てくるだろうか…。



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