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2006.11.21 Tuesday
仁鶴
僕が落語をやりたいと思ったきっかけは、中学校の時に出てきた笑福亭仁鶴である。
やたら面白かった。 その頃は、仁鶴が初代の春団治に似ているとか、そんなことも知らず、とにかくそれまでの落語というイメージ(これは主に米朝だったが…)を飛びこえたような感じだった。 中学2年の時、仁鶴が出ていた、MBSヤングOh!Oh!という番組も、友達と見に行った。 すごく人気のあった頃で、夕方の4時から整理券を配るのだが、昼過ぎに行ったら、すでにビル一周分の列ができていた。 ステージの前に出てきて、「写真か!」と言ってポーズをとっていた。 「どんなんカナー」というギャグも、今から思えばなぜおかしかったのかわからないが、おかしかったなあ…。 「七度狐」「貧乏花見」「辛子医者」「池田の猪買い」「向う付け」「黄金の大黒」「借家怪談」「代脈」「湯屋番」など…。 レコードも買って、何度も聴いた。 落研に入っても、仁鶴のネタをやっていた。(その頃は既に、落研の中では後年襲名した枝雀の方が人気があったが、やっぱり僕は仁鶴が好きだった) 自分の出囃子(舞台に出るときに鳴らすおはやしのこと)も、仁鶴と同じ「だんじり」というのにしてもらった。 大きなネタのできる人ではなかったが、若いころの仁鶴は勢いがあった。 とにかく笑わすというパワーがあったと思う。 しかし、枝雀が襲名してから、どんどん勢いがついてきて、仁鶴はちょっと影に隠れてしまった。 喉を悪くされたようだったし…。 さすがに、枝雀のすごさは納得するしかなかったし、実際すごい芸人だったと思う。 化けた人だった。 そんなこんなで、落研時代の後半は、枝雀のネタもやった。 でも、1970年頃の仁鶴は本当に面白かった。 彼が上方落語の再興に一役買ったことは間違いないと思う。 あの面白さは何だったんだろうか…。 枝雀の面白さとは違う面白さだ。 哲学的な枝雀の笑いに対して、直感的な笑いだったと思う。 昨日の夜、仁鶴の古い録音を聞いて、思い出した。 あんな落語家、また出てくるだろうか…。 |
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