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2006.11.20 Monday
歌謡ショー
11月というと、文化の日と勤労感謝の日である。
前に書いたが、文化の日にはボールに乗ってこけた。 勤労感謝の日というと、学園祭だった。 安いウールの着物を着て、三日間毎日朝から夕方まで寄席をやった。 部員が20名弱で、回り持ちだった。一日に何席かやらないといけない。 でも、お客さんが多くて、ウケるのがうれしかった。 漫才をやったこともあったし、歌謡ショー(これは先輩にギターの伴奏を頼まれ、仕方なくやったのだが…)をやったこともあった。 当時、ちょうどカラオケが出はじめで、カセットの化け物みたいなテープの機械が出来たところだったと思う。(8トラックという名前のテープだった) 最初にカラオケを引っぱったのは演歌だったのではないか。 僕はその頃はカラオケなど行ったことがなかったが、その先輩はどこかでカラオケを知り、歌う喜びを知ったようだった。 十八番は、クールファイブの「長崎は今日も雨だった」という曲。 これを、人前で歌いたいがために、歌謡ショーをやろうと言いだしたのだ。 よほどやる気があったようで、画用紙でポスターを作って、自分で「○○(ここは芸名が入る)歌謡ショー」と書いて学校内に貼ってまわっていた。 「あ〜あ〜 長崎はぁ〜 きょうぅも〜 あめぇだぁったぁ〜」の部分を前川清風にせり上がって歌う。 最初はギャグでやっているのかと思ったが、大まじめだった。 とにかく、それを歌うためにやるので、ネタに笑うところなどないのだ。 全く笑いの取れない歌謡ショーはまずい、ということで、先輩に「何か面白いギャグを入れましょう」と言ったが、あまり真剣に考えている風ではない。 結局、365歩のマーチ(水前寺清子)を歌い(歌謡ショーだから、結局は歌なのだ)、「三歩進んで二歩下がる」の部分を、「三歩下がって二歩下がる」という歌詞に変えて、「下がってばっかりやがな」という突っ込みを入れる…というのをやろう、ということになった。(この時点で考え直すべきであったかもしれない) 落研の部室にあった、誰かが川べりに落ちているのを拾ってきたというギターを持って、その先輩と満員に近い(100人以上いたと思う)教室の前に立った。 「さぁ〜んぽ さがって にほさがる」 「下がってばっかりやがな」 もちろん、結果は惨憺たるものであった。 だが、それは笑いを取るということに関してであって、先輩にとっては、「長崎は今日も雨だった」が歌えたから、それで良かったのだ。 嬉しそうな先輩の顔と、口をあけて見ていた教室の最前列の子供の顔が今でも目に浮かぶ。 それが、その当時、創部9年間で初めての歌謡ショーであり、その後後輩が歌謡ショーをやったのかどうかは知らない。 勤労感謝の日というと、この事を思い出す。 歌謡ショー…この言葉もぼちぼち死語ですね…。 |
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