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2006.03.16 Thursday
食べること
食べることは、生きることでもあり、生物として一番大切なことだ。
食べなければ、死ぬ。あたりまえの事実である。 すべての動物は、生きるために食べている。 必要なだけ食べる。本能がそんな風にセットされているからだろう。 でも、人間だけは、食べるために生きる事もできる動物だ。 欲しいものを必要以上に食べて、それを消費するために走ったりする。 人間以外の動物にとっては、食べ物は商品ではない。 売り買いするようなものではなくて、それを得ることが「生きる」という事であるほど、大切なものだ。 しかし、お金というまぼろしの価値を作ってしまった一部の人間は、食べ物をいつでも欲しいときに、好きなだけ、食べることができるようになった。 食べ物は、生きるためのものではなくなって、消費されるものになっている。 戦後の闇市がさかんなときに、正規ルートでの配給物しか食べない、と決めて餓死した人もいた。 食べ物があっても、自分から食べずに死ぬことすら人間にはできる。 食べきれないほどの食べ物を作り、捨てる事もやっている。 人間は、食べ物をどう考えているのだろうか。 こんな事を考えていると、食べ物に対する態度というのは、その人の生き方を表しているのかもしれないと思う。 好き嫌いはしない、出されたものは文句を言わずに残さず食べる、食べ物を粗末に扱わない、ご飯粒をお茶碗に残さない…こういう事って、親から言われてきたが、すごく大事な事だと思う。 食育などという聞き覚えのない言葉が出てきているが、食べ物に対する考え方は、池田晶子のこの言葉に尽きるのではないか。 「そも食べ物に感謝することを忘れたということ自体が、こういった騒動の大本ではなかろうか。牛だって鶏だって生き物だから、殺されて食べられるのはイヤである。しかし生き物は互いに食べ合って生きているものだから、その意味でそれは仕方ない。「仕方ない」という、こちらの側の、このイヤな気持を、ではどうするか。 だから感謝するのである。私が生きるための食べ物になってくれてありがとう。「ありがとう」、言うだけではダメである。それは証されなければならない。証しとは何か。決まっている。よい人間になることである。よい人間、真っ当な人間として、生きることである。そうでなければ、私が生きるために殺される他の生き物たちに、申し訳が立たないのではないか。・・・」 池田先生はすごい。 |
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