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2024.07.14 Sunday
日本のESG
この頃、学生が受ける企業を調べるために、その企業のホームページを見ると、大体の企業には「持続可能」というようなページがある。
わざわざ、それを見出しにしているところもある。 日経から来た案内メールにも、こんな文句があった。 「サスティナビリティ(持続可能性)への流れが加速する今、ビジネス環境は大きく変わりつつあり、まさに“潮目”と言える状況にある。企業はいかにして、利益重視からE(環境)・S(社会)・G(ガバナンス)へと転換し、人と地球との「ウェルビーイング」を重視するアプローチへ移行するかが問われている。」 経済新聞が、企業が利益重視の経営が変わりつつある、と言っている。 なにかおかしくないか。 企業が自由に利益を重視して活動するから、経済は発展し、豊かになる、というのが本来のはず。 その活動の中で、不具合が出てきたら、長い目で見たら当然社会から拒否されるし、昔の公害のように規制ができたりする。 それが自由な市場の良さであり、このESGはそれを人為的に変えようとしているとしか思えない。 持続可能でなければいけない、という主張はわかる。 でも、今まで石油を使って工業を発展させ、プラスチックなどを生み出し、燃料として使い、豊かさを享受してきたのはそう言っている人たちだろう。 石油が有限なのは掘り出した当時からわかっている。 地下から掘り出している以上、無限にあるはずがないのだ。 ぼくらが小学校の頃は、石炭は植物から、石油はプランクトンなどの生き物からできているなどと教えてもらった。 石炭は植物由来だが、その後石油はどうも地球に小惑星が衝突してできたもの、という説が有力になったらしい。 だから、取れるところが偏在しているのだろう。 では、持続可能でないから、ガソリンも使わないし、石炭や石油を使う火力発電もやめ、プラズチックも一切使わず、石油由来のものは使わない生活など、望んでも今の日本ではできないだろう。 荒野に1軒家でも建てて、そこで農薬も使わずに田畑を耕して、自給自足の生活でもするしかない。 太陽光パネルや風車を建てて、それらで作る電気を使えば、ちょっとは文化的な生活もできるだろう。 それらを作るために排出されたCO2には目をつぶろう。 でも、夜は太陽光は使えないし、風が吹かなければ風車も回らないから、しょっちゅう停電するだろうが…。 ところが、そういう人たちは原子力を使うことを嫌悪する。 何が何でも再生可能エネルギーだという人が多いのだ。 再エネは光や風を使うので、動き出したらタダで発電するが、しょせん補助的に使うものだ。 いくら昼間にたくさん発電しても、電気を貯めておいて夜に使えるようにしないと、再エネ100%などできない。 蓄電コストは発電の1万倍だというから、まだまだ無理だ。 そんな机上の空論で「持続可能」などと言われても…、ということだ。 持続可能にするためには、例えばガソリンがリッター2000円になっても、電気代が今の10倍になっても、しょっちゅう停電しても、世の中の効率がどんどん悪化してもいい、と思うのだろうか。 ぼくはそうは思わない。 そんな状態になったら、ぼくらの生活が持続可能ではなくなるからだ。 「人と地球のウェルビーイング」という言葉は美しいが、今のESG活動では得られないものだろう。 活動と引き換えに人は貧しくなる。 そうならないためには、もっと豊かになり、持続可能のための技術開発をしないといけないと思う。 |
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