考えたこと2

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終末期明晰
認知症の人が死ぬ前に普通に話しだす、というのを終末期明晰というらしい。
アレクサンダー・バティアーニという人がそのことについて書いている。
これは日本ではお迎え現象などと言われている。

この現象は以前から知られてはいたが、科学的には解明しようとされず、名前もついてなかった。
それが最近、「終末期明晰」という名前がついて、ようやく研究が始まったとのことだ。

この本の紹介のサイトを見て、ぼくには思い当たることがある。
母が亡くなる前にホームに行ったときのことだ。
もう長くないという電話で、長男と一緒に顔を見に行った。

ぼくが母の手を握って「来たで」というと、その時まで目をつぶっていた母が、ぱっと目を開いて、ぼくをじっと見て強い力で手を握りかえしてきた。
酸素マスクをしていたので、声は聞こえなかったが「長いことありがとう」と確かに言っていた。
声は出なかったが、ぼくにはそう聞こえた。

それが最期の言葉だったのだと思う。

もう食べることもできなかったから、弱っていくばかり。
その中で、最後の力をふりしぼったという感じだった。

足かけ6年ほど、実家やサ高住、老人ホームにできるだけ行っていたので、そのことを言ったのだと思う。
でも、だんだんと妄想を見て話すことが多くなり、顔を見に行っても話すことがなくなってくる。
そして、だんだんと足が遠のいていく。
それでも、隔週で行くという感じだった。

サ高住のときは、だれかが自分の部屋に入ってくる、といって財布の入ったカバンを隠したりしていた。
大事なものも、だいぶなくなった。
どこかに置いてきたのか、預けたのか、わからない。

コロナの時期の入院でだいぶ認知症が進み、ぼくのこともわからなくなった。
それでも、ホームに行くと時々笑った。
昔の写真を実家を処分した時に持って帰っていて、それを見せていろいろ聞いた。
ほとんど、忘れたという返事だったが、時には何か思い出すこともあった。
それも、だんだん減って、もう思い出も消えていった。

相撲を見ている時には、時々柔らかい表情になった。
やっぱり国技だ。

そんな母が最後にぼくのことを思い出したのだと思う。

亡くなる2日前だった。

思い出すと、やっぱり申し訳ないという気持ちがまだまだ強い。




| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 23:42 | comments(0) | trackbacks(0) |

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