![]() |
2024.05.26 Sunday
終末期明晰
認知症の人が死ぬ前に普通に話しだす、というのを終末期明晰というらしい。
アレクサンダー・バティアーニという人がそのことについて書いている。 これは日本ではお迎え現象などと言われている。 この現象は以前から知られてはいたが、科学的には解明しようとされず、名前もついてなかった。 それが最近、「終末期明晰」という名前がついて、ようやく研究が始まったとのことだ。 この本の紹介のサイトを見て、ぼくには思い当たることがある。 母が亡くなる前にホームに行ったときのことだ。 もう長くないという電話で、長男と一緒に顔を見に行った。 ぼくが母の手を握って「来たで」というと、その時まで目をつぶっていた母が、ぱっと目を開いて、ぼくをじっと見て強い力で手を握りかえしてきた。 酸素マスクをしていたので、声は聞こえなかったが「長いことありがとう」と確かに言っていた。 声は出なかったが、ぼくにはそう聞こえた。 それが最期の言葉だったのだと思う。 もう食べることもできなかったから、弱っていくばかり。 その中で、最後の力をふりしぼったという感じだった。 足かけ6年ほど、実家やサ高住、老人ホームにできるだけ行っていたので、そのことを言ったのだと思う。 でも、だんだんと妄想を見て話すことが多くなり、顔を見に行っても話すことがなくなってくる。 そして、だんだんと足が遠のいていく。 それでも、隔週で行くという感じだった。 サ高住のときは、だれかが自分の部屋に入ってくる、といって財布の入ったカバンを隠したりしていた。 大事なものも、だいぶなくなった。 どこかに置いてきたのか、預けたのか、わからない。 コロナの時期の入院でだいぶ認知症が進み、ぼくのこともわからなくなった。 それでも、ホームに行くと時々笑った。 昔の写真を実家を処分した時に持って帰っていて、それを見せていろいろ聞いた。 ほとんど、忘れたという返事だったが、時には何か思い出すこともあった。 それも、だんだん減って、もう思い出も消えていった。 相撲を見ている時には、時々柔らかい表情になった。 やっぱり国技だ。 そんな母が最後にぼくのことを思い出したのだと思う。 亡くなる2日前だった。 思い出すと、やっぱり申し訳ないという気持ちがまだまだ強い。 |
![]() |