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2024.03.20 Wednesday
多様な教育実践
職場で、高校訪問をやっていた人の話を聞いた。
大阪の公立高校で、9時35分始まりのところがあるという。 普通の高校は、8時40分くらいにショートホームルームが始まる。 早いところでは8時20分というところもあった。 高校時代、電車通学だったが7時50分くらいの電車に乗っていた記憶があるので、始業は8時50分くらいだったのだろう。 サラリーマンはフレックスなどの制度もあるから、時代に合わせて9時35分始まり、ということになったのかと思ったら、そうでもないらしい。 底辺校で生徒に来てもらうためだろう、ということだった。 ホームページを見ると、トップページのバナーがいきなり「9時35分始業」というもの。 それを宣伝に使っている。 次に「定期テストがない」「創立50周年」と続く。 そして「2024年度はさらに「多様な教育実践校にリニューアル」」というのが出る。 最近よく言われる「多様」という言葉。 大学ではそれこそ多用されるのだが、高校でもそういうのか、と驚いた。 本来学校というのはほぼ同じ学力のものが集まっていることが、最も教育効率が高い。 それはそうだろう。 1クラス40人ほどを一度に教えるのだから、同じようにわかるとは限らない。 わからない生徒を出さないためには、学力のレンジが狭いことが必要だ。 そのために入試があり、その試験でその学校のカリキュラムを教えられる生徒を選抜する。 ところが、最近は少子化で定員割れの大学が増えていて、そういう大学では入試が成立していない。 どういうことかというと、受ければ入れる、という状態であり選抜しないということだ。 今の中・小規模の定員割れの私学は概ねそういう状態。 そうなった時に、何を言うかというと「多様な教育」「多様な学生」という便利な言葉だ。 本来の「多様」の意味は、国籍や考え方が多様ということだが、そういう私学では「多様=学力がバラついている」ということになる。 教えるほうは大変だが、金儲けのためには仕方がない。 入試選抜の権限は教授会に委ねられているが、そういう学校の教授たちも、自分たちの飯の種だから大幅に妥協する。 かといって、そういう学生の扱いを知らないから、結局わけのわからない授業をする。 以前書いたが、不合理という言葉の意味を知らない新入生がいるのだ。 これでいいのだろうか。 |
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