考えたこと2

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老い先
子供の頃は、未来がたくさんあった。
何にでも望めばなれるという感じもあった。
大人から、大きくなったら何になりたいのか?と聞かれたりもした。

小学校に入っても、同じだった。
1年生の時は、2年になったらどうしようと思った。
2年になったら、3年になったら…と思い、それが5年生まで続いた。

6年になると、今度は中学校だ。
中学になったらと思うが、想像ができなかった。
実際に中学校に上がって、中1から中3まで、ぼくにとっては何だかよくわからない時代だった。

マンガ家になりたくて、自由帳にマンガを描いたりしたが、下手くそだった。
勉強して、高校に入った。

高校になると、だいぶなれないものが増えてくる。
たいがいの職業が無理だろうと思えた。
ギターを弾いていたので、シンガーソングライターにも憧れた。
小椋佳というサラリーマンから転向した人がいたので、とりあえず父のように働こうかと思ったりした。
小学校に比べると、だいぶスコープが短くなって、現実的になった。

大学に入って、落語をやったが、プロになれるほどうまくなかった。
もう自分で自分を評価できる年齢になった。
勉強は驚くほどしなかった。
幸いなことに、卒業させてくれた。
このあたりで、小さい頃からの夢は終わった。

地元にあるから、という理由がメインで、会社に就職した。
毎日残業して、比較的真面目に働いた。
大学で勉強しなかった分、入社して勉強もした。

47歳で、転職した。
まさか自分が転職するとは思わなかったが、全く違う世界に入って、驚いた。
非営利の学校法人を知った。
世界は広がったが、どちらかというと失敗の方向だった。
それでも、任された仕事をやっているうちに面白くなった。
学部を作り、学科を作り、カリキュラムを作り、コースを作り、やりがいがあった。
でも、まわりに敵が増えて57歳で退職した。

もう選択肢は最後の仕事の延長しかなかった。
学生の相談業務。
それだけをやることを考えた。

今は週単位で仕事をしている。
月水木金と火土は行き先が違う。
この仕事ももう8年やった。
もうすぐ仕事のない時間になる。

思えば、小学校の頃ははるか先の大人を考えていたが、どんどん先が短くなっていく。
中学や高校の時代は、3年後とかいうスパンだったなあ。
大学では4年先、就職してからは、まあ数年単位だった。
それが今や1週間だ。

仕事がなくなると、1日単位だろう。
朝はこうして、昼は…、というようなもの。
曜日など関係ない。

これがまさに「老い先が短い」ということなのだろう。





| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 21:14 | comments(0) | trackbacks(0) |

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