考えたこと2

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インフォームド・コンセント
今まで何度かインフォームド・コンセントについて書いたことがある。

昨日「医者が患者を殺すとき」という記事を読んで、こんな医師もいるのかと救われた思いだった。
以前紹介した「人は家畜になっても生きる道を選ぶのか?」を書いた森田洋之氏。

一般的に病院などで手術前に行われるインフォームド・コンセントは、起こりうる可能性を列挙して、それでも構わないという書類にサインをする、という儀式みたいなものだ。
サインしないと手術できないのだから、納得してもしなくても、医師を信頼してやってもらうしかないのだ。

がんの告知も、30年ほど前までは行わなかった。
だから、当時の医師や家族は、それを「自分たちで引き受けてくれていた」、ということだ。
手塚治虫のブラック・ジャックの話をひいて、こう書く。

「ブラックジャックは「真実を本人に伝える」ことにもまして、「医師として自分が引き受ける」という道を選んだのではないだろうか。
そう考えると、今の医療の「特に理由がない限りがんは全例患者に告知する」という態度は、「自分で引き受けると言う態度を手放した医師の責任逃れ」、もっと言えば「患者への丸投げ」と言われても仕方ないのかもしれない。」

ぼくが何度かインフォームド・コンセントを受けて感じたことも、同じことだ。
医師の責任を問題にしないという書類にサインをするのだから、せめて自分の経験からこういうこともあるかもしれないとか、おそらくこうなるだろうとか、そういう意見が欲しかった。
それがプロとしての医師の態度ではないかと思う。

決められた書類を読みあげて、あらゆる想定される悪いことを告げ、患者とその家族にサインをさせることが、インフォームド・コンセントになっている。
それは責任逃れの儀式にしか見えない。

森田医師は「僕は一人の医師として、ここから逃げたくない。真摯に患者さん・ご家族と向き合いたい。いや、こういう問題から逃げずに向き合うことこそが、医師の仕事ではないかと思う。」という。

手術中に起こることは、執刀医である自分しかわからない。
彼はこう言う。

「僕もこれまでの約20年の医師人生で、このように「多少事実をごまかしてでも自分が引き受け」たことが何度もある。その選択で結果が良かったことも悪かったこともある。その度に、僕はまるで自分が悪魔になったような悲痛な思いで涙を流す。

医師という仕事は、業の深い仕事だと思う。でも、医師という仕事はそういうものだ。もしそこから逃げるような存在なら、そんな価値のない存在は今すぐにでもAIに取って代わられていい。

そんな風に涙を流すこと、その覚悟を持ち続けること。それこそが医師の仕事だということだけは忘れないようにしたい、と僕はそう思っている。」

こういう医師にめぐり逢いたいものだ。



| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 20:04 | comments(0) | trackbacks(0) |

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