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2022.12.25 Sunday
歯医者
ぼくは目はいいのだが、歯が悪い。
何度歯磨き指導されても、直らない。 というか、こっちは真面目にやってるつもりなのだが、ダメなのだ。 そんなわけで、どんどん義歯が増えた。 こないだ歯医者に行って、治療を受けながらぼんやり考えていた。 ぼくが生きているのだが、この肉体は借り物ではないかいうことだ。 もちろん、そんなことはなく、肉体の死は精神の死だ。 でも、この世での借り物、という気持ちもある。 借り物の身体が、使い物にならなくなって、一部人工的なものが使われる。 それが義歯ということになる。 歯など、末端の部分はまだ入れ替えが効くが、身体の中心部がやられると、一巻の終わり。 ぼくの人生という物語の「一巻」が終わる。 二巻はない。 昔無声映画で、弁士が最後に話していたという。 今まで歯医者でそんなことは考えたことがなかった。 特に、歯痛がひどかったときなど、早く抜いてくれと思ったくらいだ。 でも、今頃になると、なんとなく自分の身体の一部が使い物にならなくなるというのは寂しい。 「一巻の終わり」が近づいた、ということだ。 江戸時代など、隠居というのはせざるを得ないものだった。 なぜかというと、歯が悪くて人前で一緒に食事ができなくなったり、目が見えなくなったりしたからだという。 今でこそ、歯も目も治すことができるから、80歳、90歳になっても人前に出ることができる。 名実共に人生が長くなったのだ。 身体は借り物ということは、精神は別に存在してまた違う身体に乗り移るというようなことを考えているのかと思う。 死の問題がややこしいのは、だれも死んだことがないからだ。 死んだことがない、というのは死んで生き返った人がいない、ということ。 だから、経験談が聞けない。 それこそ、昔からいろんな哲学者や宗教者が言ってきた。 でも、最後の最後はわからない。 わかりようがない。 そうこうしているうちに、治療は終わった。 |
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