考えたこと2

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無駄話の効用
最近はコロナで無駄話が減った。
オフィスで会話がほとんどない。
ぼくが行っている所だけなのだろうか…。
いや、リモートも増えているし、無駄話は確実に減っているのだろう。

落研の頃、寄席の前には練習をしたが、いつもは部室に集まるのは無駄話をするためだった。
無駄話をする中で、ボケ方やツッコミ方を訓練していたのだと思う。
それを意図してやっていたわけではないが、誰かがボケると一斉にツッコむというリズムが楽しかった。
夏休みに久しぶりに落研の先輩と会って、バスに乗ってずっと喋っていたら、前にいたおばちゃんに「よう喋るなあ」と言われたこともある。

ぼくはもともと無駄なおしゃべりが好きだ。
そのために今も働いている部分もある。
一人でごそごそするのもいいのだが、特定の気のあう人と会って話すのは人生の楽しみだとすら思う。
それに、話していると新たな思いつきが生まれたり、発見があったりもする。
きっと、ある種の会話が脳を刺激して、何かが生まれるのだと思う。

どんな人と話すといいのか、これは難しい。
もちろん、もともと気の合う友人はいいと思う。
そうでなくても、学生の就活相談をしていても、すごく自分にとっていい経験になったという時もある。
「相性」という言葉がそれを表しているような気もするが、要は「気が合う」ということだ。

そうなる時というのは、やはり並走している時になる。
教え、教えられる、という上下の関係になってはダメだ。
横の関係になって、初めて無駄話ができるのだと思う。

たとえ上下関係があっても、相手が自分を対等に近い位置で見てくれていると思ったときに初めて無駄話ができるのだろう。
この無駄話は極めて人間的なものだと思う。

その証拠に、人工知能が最も不得手とされるのが無駄話。
思いつくままに話し、そういう状態で相槌を打ち、適切な対応をするということだ。
これがちゃんとできたら、それを初めて人工知能と呼ぶ、という定義がある。
ぼくはこれは正しいと思っている。
最も人間らしい営みだからだ。

そういう無駄話ができる間は、頑張って働こうと思う。



| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 21:35 | comments(0) | trackbacks(0) |

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