考えたこと2

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シンガポールのポストコロナ
シンガポールの政府が、コロナの戦略を以下のように発表している。
パンデミックがいつ終わるのか?という質問に対して、Google翻訳で和訳すると、

「風土病Covid-19
悪いニュースは、Covid-19がなくなることはないかもしれないということです。良いニュースは、私たちの真っ只中にそれと一緒に普通に暮らすことが可能であるということです。これは、Covid-19が風土病になる可能性が非常に高いことを意味します。しかし、それはどういう意味ですか?

これは、ウイルスが変異し続け、それによって私たちのコミュニティで生き残ることを意味します。そのような風土病の一例はインフルエンザです。毎年、多くの人がインフルエンザにかかります。圧倒的多数は、入院する必要がなく、投薬をほとんどまたはまったく行わずに回復します。しかし、マイノリティ、特に高齢者や併存疾患のある人は、非常に病気になり、一部は屈服する可能性があります。

大国では、インフルエンザで入院する人の数は膨大になる可能性があります。たとえば、米国では、インフルエンザのために毎年数十万人が入院し、数万人が亡くなっています。

しかし、インフルエンザで非常に病気になる可能性は非常に低いため、人々はインフルエンザと一緒に暮らしています。彼らはインフルエンザの季節でも日常の活動を続け、簡単な予防策を講じたり、毎年インフルエンザの予防接種を受けたりしています。」

という発表だ。

東アジアについては、これは正しいと思う。
欧米よりも格段に死者が少なく、日本では過去のインフルエンザのほうがよほど死者が多いのだから。

日本の「専門家」の人たちも早くそういう考えになってほしいものだと思う。

遺伝子解析技術が発達して、PCR検査みたいなものができるようになって、初めて「感染者」というものが「発症者」と区別して数えられるようになった。
それ自体はいいことだと思うが、今回のコロナ禍についてはそれが原因で、感染が広がらないと感染症は終わらない、というアタリマエのことがわからなくなった。
病気を発症者ベースで考える、というのが今までの原則。
それをわざわざ検査して、無症状でも感染していたら病気ということにしてしまった。

テレビは、スティホームしてもらったほうが見てもらえるということで、いつまでもコロナの恐怖を煽る。
気の毒なのは飲食店や旅行業者。
家庭や高齢者施設が主たる戦場なのに、どういうわけか飲食店や旅行業者が狙い撃ちにされて、廃業したところも多い。

挙げ句の果てに「ゼロコロナ」などというバカな政治家まで現れ、日本の政治家の低レベルを露わにした。
これ以上GDPを減らさず、ちゃんと正常化して欲しいと願う。
それが若い人たちの仕事を保証することにつながるのだ。

10年、20年経って、「専門家」たちがこのコロナ禍をどう総括するのか、楽しみだ。






| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 22:39 | comments(0) | trackbacks(0) |

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