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2021.04.15 Thursday
死に時
「死に時」という言葉、Webで意味を調べてみると、
「死ぬ時。死ぬべき時。死ぬのにふさわしい時機。」 と書いてあった。 それに対して、生き時という言葉はない。 調べても出てこなかった。 まあ、すでに生きているのが前提だから、「生きるべき時」というのは言葉としては成り立たない。 第二次大戦の時は、若い男性は「死に時」を考えざるを得なかった。 特攻隊など、生きて帰れない。 南方の戦線に徴兵されて、実際にジャングルに入って攻撃を受けたりすると、死が間近に迫ってくるのを感じただろう。 今でもそういう映画を見ると、胸が痛む。 ぼくは幸い戦争が終わってから7年後に生まれ、その悲惨さを知らずに生きてきた。 日本は奇跡的な復興を遂げ、80年代にジャパンアズナンバーワンと言われ、その後バブルが崩壊し、今はほぼ20年以上長期停滞が続いている。 それでも、高度成長の遺産があるから、一人当たりのGDPでは貧しくなったが、社会としてはまだまだ豊かだ。 東シナ海や南シナ海の付近がきな臭いが、それでもそう簡単には戦争にはならないだろう。 いくら中国共産党とはいえ、台湾を攻めるなどということはないと思う。 戦後、アメリカの傘の下で、日本は平和な時代を70年も過ごしてきた。 ぼくはアメリカや西欧の民主主義の掲げている理想は正しいと思う。 そう教えられてきたから、という側面もある。 そういう民主主義が、戦争のときに若者たちを「国を守る」ということで戦争に駆り立てた側面は否定しない。 でも、自由や平等(これは機会の平等で、結果の平等ではない)というものの価値は、やはり大切にすべきものだと思う。 つくづく、人類の歴史の中で、1957年に今の日本に生まれてラッキーだったと思う。 日本に生まれたおかげで、右肩上がりの経済の恩恵も受けたし、世界一にもなったし、豊かさを享受することができた。 バブルの時はしんどかったが、アメリカやヨーロッパの人たちと仕事もできたし、面白かった。 日本が比較優位を持っている、自動車産業の端くれで仕事もできた。 大学に転職して、教育業界のこともわかったし、今の大学の抱えている問題もよくわかった。 そして、それをまともにすることが難しいこともよくわかった。 そして、今は大学生の指導の仕事をしている。 これだけいい時代を生きられたのだから、いつ死んでもいいとは思う。 |
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