考えたこと2

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「専門家」は不要
コロナから以降、テレビにやたら「専門家」と紹介される人が増えたように思う。
肩書を見ていると、偏差値があまり高くない大学の教授や、下手をすると准教授以下の場合もある。
専門家、というからにはテレビ局で国立情報学研究所の論文データーベースで、その人がどんな論文をどこに出しているか、確認するのがスジだ。
そんなことをせず、肩書だけで信用しているのではないか。

というか、テレビ局の言いたいことを言ってくれる人、という選び方をしているのではないか。
以前、どこかの教授がそういうインタビューはお断りと言っていて、「彼らは都合のいいところだけ切り取って使う」ということだった。
本当にそういうことをしているのなら、それはテレビ局による情報操作だ。

ぼくは文系の私立大で仕事をしていたが、まともに教授と呼べる人は少なかった。
以前大学教授の資格教員審査という記事も書いたが、学校教育法によると、大学教授はこのように定義されている。

教授の資格
第十四条 教授となることのできる者は、次の各号のいずれかに該当し、かつ、大学における教育を担当するにふさわしい教育上の能力を有すると認められる者とする。

一 博士の学位を有し、研究上の業績を有する者
二 研究上の業績が前号の者に準ずると認められる者
三 大学において教授、助教授又は専任の講師の経歴のある者
四 芸術、体育等については、特殊な技能に秀でていると認められる者
五 専攻分野について、特に優れた知識及び経験を有すると認められる者

上記の定義でいくと、三はすでに大学教授の経歴を持つということで定義外、四と五はその分野で誰もが認める能力のある人ということだから、当然として、問題は一と二になる。

博士の学位を持つのは今はほぼ当然、なおかつ「研究上の業績」というのは学会誌などへの掲載で、もちろん査読付きのものが対象になる。
もちろん著書も入るが、これは要注意。
編著とか、一般的な著書ではなく何人か集まって書いているものだったりする。
一度業績を見た時に、すごい著書の量やなあと思ったら、その中の3ページだけだったりするのだ。
こんなの業績に入れていいのかと思うが、これが慣例らしい(文系単科の私学だが)。

論文のなかに「紀要」というのもある。
これは各大学が出している論文集。
歴史ある大学の紀要はまともだったりするが、紀要というのは大学院生が練習のために書く媒体というのがまともな先生の言葉。
したがって、一応査読はあるが、身内の査読でいい加減なものだったり、そもそも論文が集まらず出せなかったりする。
こういうのは紙にして発行するだけ無駄だと思う。
結局大半の紀要は業績づくりのための隠れ蓑になっている。

まともな先生は査読付きの学会誌に論文を出すのだ。
だから、私立文系の大学で、聞いたことがないような大学の教授という肩書だけでは質は全く担保されない。
今の「専門家」というのは、テレビ局の御用学者であって、本当の専門家ではない。

まあ、使うマスコミが悪いのだが…。




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