考えたこと2

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クリティカルシンキング
デーヴィッド・アトキンソン氏が、クリティカルシンキングをもっと大学で教えるべきだ、と言っている。
今や首相のブレーンになったアナリスト。
ぼくもアトキンソン氏の本は読んだが、数字でものを考える理詰めの人だ。

しかし、彼はきっと日本の義務教育の惨状を知らないのではないか。
こないだ書いたが、不登校の原因を当事者に聞いたら、ほとんどが先生が原因、という。
東須磨小学校の教員同士のイジメの問題や、大津などの教育委員会のイジメ隠しの問題など、問題は山積みだ。
昔は予備校や塾は学校の影に隠れた黒子で、あまり表には出なかったが、今は逆に生徒の成績を知ろうと思うと塾や予備校に行くことが多い。
中学校で職員室に勇気を出して聞きに行ったら、そんな難しいことは塾で聞け、と言われる始末。
いったい、どうなっているのかと思う。
それらに無関心な市民も問題だが…。

彼は小中高よりも大学の方が優先順位が高いという。
イギリスと比較して、日本の大学ではクリティカルに物事を見る目が備わっていないという。
それは事実だと思う。
全入時代になって、入試が機能している大学は半分もない。
入試が機能している、というのはその学校に入るに値する学力を持っているかどうか、という選別ができていないということだ。

だからこそ、入った学生に初年次の訓練をする。
図書館の使い方、レポートの書き方、授業の取り方など、きっとアトキンソン氏が見たら驚くだろう。
学校によっては、アルファベットの書き方やBe動詞の使い方、分数、小数、割合などもやるところもある。

ぼくは割合というのは小学校で初めて出てくる「抽象的」なものだと思っている。
それがわからない、ということは形而上のものはわからない、ということだ。
形があって、触れるものはわかるが「割合」という目に見えない、形のないものはわからない。
抽象的なものがわからない人には、クリティカルシンキングなど難しい。

今回のコロナ騒動だって、欧米と比較したり、インフルエンザと比較して考えれば、日本ではそんなに大きな問題ではないくらい、すぐにわかるはず。
医者もマスコミもそういう考えが全く身についていないのだと思う。

彼は、「日本の小中高では詰め込み教育がよく批判されますが、クリティカルシンキングを教えるという意味では、小中高までは基本的に詰め込み教育をする場で、大学はクリティカルシンキングを訓練する場所だと考えています」という。

今の日本の小中学校では詰め込みなどやっていない。
やたら増えた科目と教員の教えられる科目のアンバランスがひどく、小学校で詰め込むべき算数のドリルや漢字のドリルなど足りない。
だから、大学に入って割合がわからない学生が続出するのだ。
アトキンソン氏の言うように、小学校では総合的な学習などやめて、読み書きそろばんをもっとやるべきなのだ。
それを詰め込んでこそ、義務教育だと思う。




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