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2020.12.05 Saturday
忘れられない映画
1960年代の終わりくらいに見た映画が忘れられない。
当時は小学校の高学年か、中学くらいだったが、流行った映画ではない。 「サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ」の淀川長治(といっても若い人にはわからないだろう)がやっていた、日曜洋画劇場だったと思う。 当時はぼくはSF好きで、鉄腕アトムが好きだった。 科学のいい側面に光を当てたものだった。 もちろん、科学の力で原子爆弾はできたのだが、手塚治虫の世界はそれを良い方向に使っていた。 今もそうであるべきだと思う。 人間は科学の力で豊かな生活を実現してきたのだ。 たしかに、戦争が人類の科学技術を発展させたというのは事実だと思う。 それでも、人類はこの70年、科学の力のおかげで戦いを抑止してきたのも事実なのだ。 話がそれたが、その映画はコンピューターが人類を制覇するというものだった。 当時はまだまだ大型コンピューターの時代。 冷戦華やかな頃だったから、アメリカとソ連が競ってコンピューターを作った。 すべて自動で、ミサイルの発射や核爆弾の発射もコンピューターを使ってできる。 もちろん、人間がGoサインを出さないとできない、ということだったと思う。 そのコンピューターが意思を持つというストーリー。 自らの意思をもって、勝手にミサイルを発射する。 アメリカのコンピューターはソ連のコンピューターと勝手に通信して、仲間になって、人間を攻撃する。 電気を止めようとか、いろいろと人間側も動くのだが、ことごとくやられてしまう。 そして…でジ・エンド。 ディストピアの映画だった。 今となっては荒唐無稽な映画だったが、当時読んでいた本に、地球を覆うくらいに敷き詰めたコンピューターを作ったら、意思が生じるかもしれないとかいうのもあったし、人間の脳もとどのつまりは物理的に複製可能なものだし、それを作ることができれば、脳のように考え始めるということも、何となく思っていた。 だから、そのうちなるかもしれない、という印象を持ってしまった。 ぼくが最近のAIの発達を見て、シンギュラリティ(コンピューターが人間を超えること)を信じてしまうのはその映画の影響が大きい。 純粋に理屈ではそんなことはないのだが、ニューラルネットワークなどという名前で、脳の構造を模したやり方をして、飛躍的にAIが賢くなったというニュースなどを聞くと、そう思ってしまう。 そこにインターネットという馬鹿みたいに情報量が多いデーターベースがひっつくと、学習能力も怖ろしいスピードで増えていく…。 あの映画で、小さいころから刷り込まれたのだ。 今となっては、冷戦状態の人間を風刺する側面もあったと思う。 本国ではB級ムービーだったかもしれないが、当時としてはよくできた映画だったと思っている。 |
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