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2020.10.03 Saturday
クルマの価値
ぼくらが若い頃は、田舎の若者を地元に引きつけるためにクルマが使われていた。
今のクルマ離れの若い人たちには信じられないかもしれない。 都会に出て働く、という息子に「ここで就職したら、新車を買ってやる」と親が引き止めるという事例があったのだ。 2000年くらいまでそれは実在したと思う。 1980年代、よくクルマで出張したが、都市部を離れたドライブインなどに行くと、明らかに分不相応な車に乗っている若者を見た。 ピカピカの新車に乗っている。 当時の人気のスカイラインとか、セリカなどだ。 ちょうど暴走族が流行ったのもその頃。 竹槍マフラーなどというものがあった。 もちろん違法だが、クルマの後側でマフラーを1m位斜め上に突き出して走る。 それだけ長いマフラーだと排気効率が悪くなって、却って性能が悪化する。 さすがに田舎になるとそういうクルマはなかったが、マフラーを交換して爆音を出して走るクルマは時々あった。 日本製の小型車が世界で評価され、どんどん売れ始めた頃。 日米貿易摩擦で、クルマのメーカーがやり玉に上がり、アメリカに工場を作り始める頃だ。 当時はクルマの価値は高かった。 まだまだオートマチックは少なく、マニュアルミッションが主流。 モータリゼーションにインフが整備が追いつかず、渋滞も多かった。 それでも、自分のクルマを持つことに価値があった。 当時はモテるクルマとして、 モータースポーツも盛んだった。 公道を使ったラリーなども多く、そのためにクルマの改造をしている同僚もいた。 まだエアコン(クーラー)が付いていないクルマも多かった。 それが今はクルマは中古でいいとか、軽のワンボックスで十分とか、そういう時代になった。 クルマよりも、新型のスマホの方が話題になる。 都市部では免許を取らない若者もいる。 実際、公共交通機関を使えば、自家用車は要らない時代。 カーシェアもある。 ぼくの中では死ぬまでクルマの価値は変わらないだろう。 クルマがあって、初めていつでも、どこにでも行けるようになった。 下宿で夜中に比叡山にドライブしたことを思い出す。 エアコンもなく、パワステもなく、しょぼいバイアスタイヤがついていた軽自動車だったが、それでもクルマを持つということは素晴らしい価値だった。 これは死んでも変わらない。 |
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