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2020.04.28 Tuesday
ウィルスとの共生
昨日先輩とWebで話をしていて「感染が増えるのはいいことだ」というと、それは外では言わない方がいいと言われた。
ぼくが「感染が増えるのはいいこと」という意味は、ある感染力を持ったウイルスは、人間界に広がっていって、ある割合の人数が感染して初めて医療が崩壊しない程度に流行するから、という意味だ。 それを集団免疫という言葉でエライ先生が表している。 日本のエライ先生も、同じだと思う。 それしか、終わりはないのだ。 感染をゼロになどできない。 たしかに、ワクチンや薬ができるまで、感染を緩やかにするのは必要だ。 本当に恐いのは、インフルエンザと同じく、単に感染者が増えることではなく、重篤者が激増することで、それは医療崩壊につながる。 しかし、今のペースなら重篤化率も死亡率も低いし、軽症の患者のベッドを空けるということも始まっているから、それを徹底すれば大丈夫なのではないか。 海外の情報を見ていると、法的な規制を伴ったロックダウンをしても、それほど劇的に感染者数は減少していないし、やめるところも出てきているくらいだ。 人と人との接触を8割削減などという夢物語は早く引っ込めるべきだ。 まるでそれによってウィルスがなくなる、というふうに思っている人が多いのではないか。 そんなことはあり得ない。 これだけ世界中に広がってしまったら、共生するしかないのだ。 専門家会議の中にもまともな人がいるはずだと思うが…。 政権に阿ってばかりの専門家会議など意味がない。 ちゃんと言うべきことを言うべきだろう。 ぼくは、熱心さは足りないかもしれないが、以前より手洗いはまめにしているし、外に出るときは消毒液のマイボトルも持っているし、マスクも持っていっている。 しないとダメ、と言われるところではちゃんとマスクもしている。 ぼくが「感染が増えるのはいいことだ」ということで、世間の感染が増えるわけでもない。 ちゃんと、そのあとに「感染が一定以上増えることが、この感染症の流行を収める唯一の方法なのだから」ということも言っている。 薬ができたほうがいいし、ワクチンが早くできることも望んでいる。 ワクチンの働きは、要するに人工的に感染をさせることだし、その場合でも感染がある一定数に達しないと、この流行は収まらない。 要は医療資源の範囲内で流行る分にはインフルエンザと同じなのだ。 ウィルスがいなくなって、平和な世の中になるわけではない。 撲滅などできないのだ。 だから、これから先いつの日か、コロナウィルスに感染する可能性はいつだってある。 それが感染症というものなのだ。 もう一度言う。 接触を8割削減したら、ウィルスが消えてなくなるわけではない。 所詮、人間はウィルスには勝てない。 ワクチンを早く作って、それを体内に入れて、人工的に感染させ、免疫を作るしか策はないのだ。 当たり前のことを言っているだけなのだが…。 |
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