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2020.03.21 Saturday
算数は大事
こないだの日経によると、関学の学長が「数学を学ばない高校生が、日本の労働生産性が低迷している要因になっている」という記事を書いている。
遅きに失した感があるが、それはそのとおりだと思う。 ぼくらの時代は、大学入試に数学は必須だった。 文系の私学でも、数2までは必要ということだったはず。 だから、高校も数学の授業をちゃんとしていた。 当時は大学も少なかったし、受験生は多かったから、大学が志願者を選べた。 その後、大学はどんどん増え、志願者は減った。 供給が増えて、需要が減ったということだ。 そうなると、一部の文系私学が志願者を増やすために、入試科目から数学を外して受験生集めに成功した。 これが教育の質の低下を招いた。 他の文系私学も志願者獲得のために次々と数学を外し、今では入試科目は現代文(古典、漢文は要らない)と英語だけ、という大学もある。 それと並行して推薦入試がどんどん増えた。 指定校推薦、学校の推薦に加えて、今は自己推薦という大学まである。 要するに志願者が集まればいいのだ。 ただ、4年制の大学は推薦入試の入学者は定員の半数まで、ということになっている。 文科省の人数制限があるのだ。 そこで出てきたのがAO入試。これは一般入試の扱いになる。 最初にAO入試をやった慶応大の湘南キャンパスは良い学生が集った。 それを見た他の大学が、慶応の事例を見て、AO入試を悪用して青田刈りを始めた。 AO入試は秋までには合格が出る。 推薦入試も早い。 だから、早く進路を決めたい高校生はそれを選択する。 推薦やAOには先生の協力も必要なので、高校は思春期の生徒を従わせるのに好都合だった。 そういう学生は早めに受験を終え、暇になる。 本来なら一番勉強する時期に、彼らはもうバイト三昧だ。 下位の私学では、そういう学生がどんどん増えている。 推薦とAOでほとんど埋まってしまって、一般入試の席が残らないということもあるだろう。 金儲けのためには、学校法人はなりふり構わない。 そのために、英語のプレースメントテストをする学校もある。 一般入試を受けていない生徒が半分以上いれば、英語力のチェックは必要だろう。 そもそも入試が入試として成立してない証拠だ。 教育の使命感などあったものではない。 関学の学長が言ったことは本当にそうだと思う。 しかし、それを招いたのは自学を含む大多数の私学が、文系の入試から数学を外したことがきっかけだろう。 そして、大学のセンセイたちは、そのことを知っている。 だからこそ、昨年早稲田の経済学部が2021年から数学を必須にした。 この措置は立派だと思う。 でも、文科省の領分である初等中等教育の質が保証されていない、ということは恐くて言えない。 「%のわからない大学生」が本当にたくさんいる。 割合の概念がわからない。 それどころか、計算はできても文章題ができない学生も多い。 国語と数学の時間が足りないのだろう。 それを招いたのは確かに高校以下の教育課程だ。 一見、大学には責任がないように見える。 しかし、そうなったきっかけは大学入試から数学を外したことなのだと思う。 それだけ学長が「数学が大事」というのなら、なぜ入試で数学を必須にしないのか。 推薦入試で数学の成績を特別に重視しないのか。 なぜそんなに大事な数学を入試の科目にしないのか。 おかしいではないか。 学長なら、そこまで踏み込んでほしい。 |
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